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滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第4部「大洋漁業」時代編(10) 外国人との仕事、主導権が大事

東京であった北太平洋国際漁業委員会に出席した須能さん(左)。カナダ政府の関係者の買い物にも付き合ったという=1980年ごろ
日本の水産関係者と米国の総務省を訪れた須能さん(後列左)=1980年ごろ

 大洋漁業(現マルハニチロ)の駐在員として米国シアトルにいたころ、仕事の関係で多くの外国人と話をした。その中でいくつか感じたことがある。

 まず、米国人は自分たちの考えを通すのが得意で我が強い人が多いと思った。駐在員だった1979年か80年に、日本から母船協会、全鮭連、日鮭連、はえ縄協会の代表者がワシントンを訪れた。

 200カイリ(約370キロ)漁業水域が導入された後、米国の総務省に出向き、再び北洋に出漁させてほしいという陳情書を提出するのが目的だった。日本としては直接手渡すことで少しでも人情に訴えようとしたのだが、米国側になびく様子は見られなかった。

 対してカナダ人はおっとりしている印象がある。30代後半の時に、東京で開かれた北太平洋国際漁業委員会(INPFC)という会議に出席した時のことだ。

 この時の私は漁労主任という立場で、本来は会議に出るような肩書ではなかった。ただ、駐在員としての実績や、海外から来る出席者には顔なじみも少なからずいたことも参加できた理由にあったかもしれない。

 会議は日本、米国、カナダで、サケマスやカニなどの資源調査のやり方や管理、漁獲量を話し合うもの。カナダの出席者は日本人に近い価値観を持っていた。

 INPFCでは、カナダ政府の関係者2人と親しくなった。2人は秋葉原で日本の電化製品が欲しいと話したので「良かったらお土産を買うのに付き合うよ」と案内をしてあげた。

 外国人との会議や休憩中に話すことがあった時に大事にしていたのは、自分が会話の主導権を握ること。知らない言葉が出てくると会話について行けなくなるため、こちらが話題の中心になることを意識した。

 簡単な英語でもコミュニケーションを取れるのが利点で、相手も気分を害さないことがほとんど。テレビ番組の司会者のように接して、自分が会話の中心でなくなった時に身を退けば「この人はいい人だ」と好印象を持ってもらえた。

 仕事以外では日本でも米国でもゴルフをよくやっていた。印象に残っているのは、サケマスの漁期が終わった8月下旬ごろ、北海道漁業公社や函館公海漁業といった大洋漁業の系列会社と、打ち上げ目的に2泊3日でやったことがある。

 入社したころはゴルフブームで周囲でやっている人が多く、社内でも休日に集まるようなグループあった。私は特段興味があったわけではなかったが、先輩からの勧めで、トロール船に乗っていた若手の頃にゴルフ用具を購入していた。

 今もそうだが、ゴルフ用具は高価なので社内の人たちでも30歳以上になってから始めているようだった。そのため私が道具を買った時は周囲から驚かれた。

 当時は賭け事がオープンになっていた時代。系列会社と行ったのも賭けゴルフだった。賭け事に関わるつもりはなかったが、仕事の関係上やむを得ず参加。ただ、成績が良く8万円を手にしたのを覚えている。

 「悪銭身に付かず」という言葉があるように、ばくちなどでもうけたお金で良い思いをすることはない。このお金は自分の勉強のために使おうと決めた。

 具体的にはロシア語の勉強に充てた。サケマス漁を行うアラスカでは母船にいると、漁を見守るロシア人と話すことがある。

 通常は船団長や通訳が対応するため一般の船員が関わることはないが、私はサケマスの船団長になりたいという希望があったので、ゴルフでもうけた8万円は東京の神田にある外国語の学校に通うために使わせてもらった。

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