2024ニュース回顧 取材ノートから > 能登半島地震 震災の教訓、生かされず
2024年もあと2週間。元日に発生した能登半島地震に始まり、東北電力女川原発2号機の再稼働や区割り変更後初の衆院選で石巻地方も大きく揺れた1年だった。日本製紙石巻硬式野球部の活躍やご当地ヒーロー「シージェッター海斗」のデビュー20周年など地域を盛り上げる話題もあった。記者の取材ノートから今年を振り返る。(随時掲載)
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再び関心・支援の機運を
「どうして、よりにもよって元日に」。思わず声が漏れた。石川県で最大震度7を観測した能登半島地震と共に、2024年は幕を開けた。
東日本大震災の教訓が生きるはず。そんな期待は、月日がたつにつれ裏切られた。発災直後の後手に回った対応に始まり、明らかに手薄な国の支援。被災家屋などの公費解体は遅れ、9月の豪雨被害が追い打ちをかけた。復興はおろか、まだ復旧の道筋さえ見通せない地域もある。
能登地方を初めて取材したのは2月。家屋の倒壊被害が甚大な珠洲市に足を踏み入れた。古くからの木造建築が多い正院町地区は、地震発生から時が止まったかのようだった。
家々は1階部分が押しつぶされ、無残に折れた柱や梁(はり)から木の匂いが漂う。能登瓦が黒光りする屋根は、どれも目線ほどの高さにあった。「一体どこから記録すれば-」。異様な光景を前に、シャッターを切る指が動かなかった。
市は現在も地区ごとの住民意見交換会や、復興計画の検討を重ねている。市内には豪雨で二重被災した地域もあり、理想の復興まちづくりに向けた議論は一層深みを求められる。速やかな生活再建と熟議を両立できるのか、気がかりだ。
7月には輪島市へ。市南西部の門前町剱地地区に密着するボランティアの活動拠点を訪ねた。「心が置き去りでは前向きになれない。作業はあくまで住民さんのペースに合わせている」。そう話したのはボランティアたちを束ねる醍醐陸史さん(37)=金沢市=。被災者のささやかな要望にも真摯(しんし)に向き合っていた。
地道な積み重ねを、豪雨は無情にひっくり返した。当初は年内にも解散予定だった拠点は、今も泥出しや高齢住民の見守りに追われる。日本海側の冬は早く、厳しい。荒天や降雪により人手不足が深刻化する中、懸命に活動を続けている。
「頑張ろう東北、頑張ろう日本」。震災後、国民に復興支援を促すスローガンとして盛んに叫ばれた。当時は関東圏に住んでいた筆者の耳にも残るフレーズで、3月11日が近づくと今でも思い出す。
能登地方に対してはどうだろう。地震発生からまもなく1年。国が一丸となり、息の長い支援を届けようとする機運は見えない。このギャップを検証し、いま一度、被災地に関心が向くような働きかけが必要だ。(漢人薫平)
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