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能登地震 発生半年の現地から(上)心のケア 前向く後押し、有志担う

支援先の住民と和やかに会話する醍醐さん(左)

 能登半島地震の発生から半年がたった。急性期を抜け、被災地では、急激な環境の変化に翻弄(ほんろう)される被災者心情への配慮や、地域の行く末を左右する復興の在り方の議論が必要とされる段階に入った。現地で奮闘する災害ボランティアや、古里の復興の形を模索する住民を訪ね、現状や課題を探った。(漢人薫平)

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 石川県輪島市の南西部。ボランティアが活動拠点にする元電気店の建物に1日、近くに住む80代の男性がふらりと訪れた。

■住民のペースで

 「ここの人とは『マブダチ』だ。この辺りの家はおおかたこの人たちに片付けてもらった」

 ほぼ毎日、顔を出しては30分ほど会話を楽しんで帰る。終始笑顔だった。

 男性の相手をしていたのは、海沿いの門前町剱地(つるぎぢ)地区に密着して活動する醍醐陸史(あつし)さん(36)=金沢市、児童指導員=。被災者の心に寄り添う支援を続ける。「遠慮なく困り事を言ってもらえるようになった。住民が前向きになれる後押しをできれば」

 東日本大震災を機に設立された一般社団法人「RQ災害教育センター」(東京)が同地区に設けた「RQ能登」でボランティアコーディネーターを務める。被災した屋根瓦や墓石などの片付け・運搬に加え、社会福祉協議会では対応が難しい細やかな依頼に応える。

 この日は地震で前歯を折った女性(77)を歯医者から自宅まで車で送った。送迎は10回目。醍醐さんは車中でも「子どもは金沢?」「旦那さんは大丈夫?」と声をかけ、状況を気遣う。女性は「最初は遠慮したけど、だんだんずうずうしくなっちゃって。助かるわあ」と顔をほころばせた。

 醍醐さんは「お金や重機を集めて街をきれいにしても、住民の気持ちが置き去りにされては前向きにはなれない」と語る。被災者宅から不要な生活用品を運び出した際は、一つ一つ、処分していいかどうかを丹念に確認した。作業の完了ではなく、住民のペースに合わせることを重視する。

■目に見えない傷

 剱地地区は高齢化率が70%近い。市中心部に比べると人的被害は少なかったが、多くの家屋が被災し、住民は仮設住宅での生活を余儀なくされた。門前町では5月下旬、仮設住宅で独居の70代女性が亡くなった。地震後の県内で初めて判明した孤独死だった。

 醍醐さんは6月末、災害関連死を防ごうと仮設住宅の見守りも始めた。先祖代々の家を失い、生きがいだった漁業や農業と引き離された被災者は、目に見えない傷を心に負う。

 「必死に地域を支えてきた人々が、これからもせめて望む生き方をできるように手助けしたい」。醍醐さんは力を込めた。

 震災時、石巻地方を含む宮城県内には精神科医らで構成する「心のケアチーム」が全国から派遣され、約半年活動した。現在は「みやぎ心のケアセンター」が引き継ぎ、発災13年がたっても被災者の心身の相談に乗り続けている。

 東北大災害科学国際研究所の國井泰人准教授(災害精神医学)は「地震直後は無我夢中でも、復興期になると親しんだ景色や家など失ったものの大きさに直面し、特に高齢者はうつ病などの発症が増えてくる」と指摘する。

 行政には、地震で顕在化した高齢化問題に対処できる仕組みづくりを求める。その上で「被災住民にとっては、専門的な対応までは必要としなくても大きな問題はたくさんある。そこがボランティアが活躍できる場だ」と話す。

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