コバルトーレ女川・吉田圭選手、引退 チーム発足から在籍 アカデミーコーチへ
女川町の社会人サッカーチーム「コバルトーレ女川」にただ一人2006年のチーム発足時から在籍する吉田圭選手(37)が、今季限りでの引退を決めた。女川一筋のサッカー人生は、東日本大震災での活動停止、JFL(日本フットボールリーグ)昇格など激動を乗り越えてきたチームの軌跡とそのまま重なる。「女川でサッカーができて幸せだった」と充実感をにじませ、ユニホームを脱ぐ。(都築理)
吉田選手は神奈川県鎌倉市出身。三浦学苑高卒業後、高校の指導者の紹介でコバルトーレに入団した。ポジションはフォワード。町内の水産加工会社で働きながら、Jリーグ入りを目指し石巻市民リーグ、県リーグ、東北社会人リーグ2部、同1部とステップアップしていくチームの得点源となってきた。
11年3月の東日本大震災で女川は津波で壊滅的な被害を受けた。選手は無事だったがクラブハウスや寮が全壊し、チームは活動を停止。選手らはがれき撤去や被災者への食料配給などのボランティアを続けながら、活動再開を待った。
翌12年、チームは東北2部から再出発。17年に全国地域リーグ決勝大会(当時)を制してJFL昇格を決めた。だが全国リーグの壁は厚く、1年で東北1部に降格。「JFLを戦ったことは、降格の悔しさを含めてサッカー人生一番の思い出」という。
チームには「Jを目指すことが女川の活性化につながる」との信念がある。カテゴリーが上がれば町の知名度は高まり、サッカーを通じた交流人口が増え、経済効果も生まれる。吉田選手もそんな思いでJFL返り咲きに挑んできた。
チームは24年、東北1部で3位にとどまり、昇格に届かなかった。吉田選手はチーム4位となる6得点を挙げたが、コンディション管理を優先したため出場時間は減った。フルタイム勤務とサッカーの両立が年々厳しくなっており「来年はベストコンディションを維持するのがさらに難しくなる」(吉田選手)と一線を退く決意を固めた。
「サッカー文化が根付いていなかった女川に徐々にサポーターが増え、専用スタジアムもできるなど環境も年々充実してきた。ここでサッカーができて幸せだった。JFLに昇格できかなかった悔しさは残るけれど、やりきった」
結婚して家庭を築き、新たな故郷となった女川で、来年からチームのアカデミー(育成部門)コーチとなる。「地元の子どもたちにサッカーの楽しさを教えたい。その中からトップチームで活躍するような選手が育てば、チームの後押しになる」と語る。新たな目標を胸に、第二のサッカー人生を踏み出す。
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