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もう一人のフランク安田(1) プロローグ 小説にない史実と遭遇

小説「アラスカ物語」。著者はノンフィクション作品で知られる作家の新田次郎(1912~80年)。石巻市湊生まれのフランク安田が、病気や飢えに苦しむ米国アラスカ州の先住民族エスキモー(イヌイット)の人々を助け、生活再建に尽くす姿を描いた。
遠藤光行(えんどう・みつゆき)さん、1949年石巻市雄勝町生まれ。東京学芸大卒業後、石巻管内の小学校で38年間勤務し、湊小校長で2010年退職。15~19年に石巻専修大非常勤講師(社会教育担当)。東日本大震災の津波で自宅が流失し、現在利府町に在住。利府町郷土史会代表。著書に「サン・ファン・バウティスタ号 出帆・造船の地」「『つきのうら』の真実」。

 米国に渡りエスキモー(イヌイット)の救世主となったフランク安田(本名安田恭輔、1868~1958年)。石巻市湊出身の偉人で波乱に満ちた生涯は新田次郎の「アラスカ物語」に詳しいが、小説では触れられていない史実があることが近年の研究で明らかになった。

 元石巻市湊小校長で「フランク安田・阿部敬介を語り継ぐ会」代表の遠藤光行さん(75)が解説する。(10回続き)

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■母校へ修学旅行

 2008(平成20)年4月15日、桜が満開の石巻市に米アラスカ州のビーバー村から修学旅行隊がやって来ました。この村は、新田次郎の小説『アラスカ物語』に登場する村で、石巻市出身のフランク安田がエスキモー約200人を移住させて築いたといわれています。

 フランクは湊小の卒業生だったことから、ビーバー村の子どもたちは彼の母校を訪問したのでした。この時、私はたまたま校長として勤務していたので、この感動的な事業に携わりました。

 その後、退職を契機に「フランク安田を語り継ぐ会」を旗揚げし、フランクの偉業をコンパクトにまとめた小冊子を作成するなど、ささやかながら啓発活動に取り組んできました。

湊小で交流するビーバー村の子どもたちと先生=2008年4月

■宇土さんが調査

 そんな折、盛岡市出身で東京在住の宇土康宣(うどやすのり)さんという方と出会ったのです。宇土さんは15年に『阿部敬介小伝』を自費出版された方ですが、この伝記の中には小説には描かれていなかった新たなフランクが登場しているのです。

 宇土さんはアラスカに36年間通い続け、そのうち約20年はアウトドアーズガイドをしながらフランク安田を調査する中で、利府町出身の阿部敬介という青年の存在を知り、阿部の稀有(けう)な生きざまを残したくて伝記に著したとのこと。取材させていただき、フランクは阿部との出会いの中で見えない感化を受けていたとの思いを強くしました。

 今回のシリーズにおいて、近年見えてきた新たなフランクの姿をみなさんにお伝えするわけですが、併せてこの偉大な先人を石巻は教育や観光にどのように生かすべきかを再度考える機会としていただければ幸いと考えます。なお、「エスキモー」の用語はアラスカでは公用語として認められているとのことなので、言い換えをしないで使用します。

 恭輔は、石巻市八幡町の安田家三男として生まれました。安田家は江戸後期より湊地区で開業医を営んでおり、父靜娯(せいご)は医業のかたわら湊小学校の初代校長も務めました。フランクが14歳の時母が病死し、翌年には追うように父も病死したため兄弟はそれぞれの道を歩むこととなったのです。

 15歳の恭輔は自活の道を選び、進出して間もない三菱汽船石巻支店に勤め、自宅から通いました。しかし、翌年三菱汽船は荻浜に出張所を開設したため転勤になったのでした。

宇土さん著「阿部敬介小伝」

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