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子育てと介護の縁側・今日も泣き笑い > 特別編 座談会(2) 認知症を正しく知って

義母の介護について語る柴田さん
父の介護経験を語る大森さん (左)

 家庭介護をテーマにした座談会。石巻かほくで介護と子育てをテーマにしたコラム「今日も泣き笑い」を連載中の柴田礼華さん(44)と、父親を介護する茶道裏千家助教授の大森宗憲さん(55)、介護支援専門員の秋田仁さん(54)が、認知症と診断された家族の介護の状況や心構えについて語った。司会は家庭介護の支援に取り組む石巻市雄勝歯科診療所所長の河瀬聡一朗さん(47)。

   ◇

-柴田さんは要介護1で認知症の義母(87)を介護されています。認知症はどんな兆候がありましたか。

 柴田>当時、義母が家事を担ってくれていましたが、同じ献立が続いたり、みそ汁の味がしょっぱくなったりしました。同じ話を繰り返すようになり、散歩中、道に迷って帰れなくなったこともありました。義母はきちんとした女性でしたので、異変に気付くのは早かったです。

-受診や相談は。

 柴田>私は専門機関に相談すればいいという知識はありましたが、義父はしっかり者の義母の異変を受け入れたくない思いから、受診には少し抵抗感があったようです。ですが、ちょうど私が長女を妊娠したのを機に、義父が「赤ちゃんが生まれる前に検査しよう」と義母を誘って認知症外来を一緒に受診してくれました。

-大森さんはアルツハイマー型認知症で要介護5の実父(89)を8年間、介護されています。受診のきっかけはありましたか。

 大森>父にお金を渡した翌日に「お金がない」と言いだしたり、めったにしない昼寝をして朝夕の区別が付かなくなり、経営する燃料店の開店準備を夜に始めたりして困惑しました。1カ月足らずで急激に悪化した印象です。 
 脳の検査に行くと言ったら嫌がると思い「石巻に帰るために税関を通る」とだまして病院に連れて行きました。 
 医師からは、20年ほど前から症状があったと指摘されました。後から思えば、仕事の配達先が分からなくなったり、親戚が亡くなったのに感情が乏しかったりしたことがありました。

-とっさについたうそが効果的だったんですね。

 大森>認知症になってもプライドはあります。紙パンツと言うと嫌がりますが「高級パンツ」と言えばはいてくれます。家族が知恵を働かせるのも一つの手です。父の前に祖母を6年間介護しました。祖母が男の孫に介護されるのを嫌がった時は「代理の者です」と言って乗り切りました。

-受診や相談に抵抗感のある人が多いと聞きます。

 秋田>周囲の人が認知症を疑って家族に指摘しても、認めたくなくて相談が遅れるケースが少なくありません。気掛かりなことがあれば、気軽に地域包括支援センターに相談してほしいです。 
 認知症になって初めて、問題に直面する家庭が多いようです。また、認知症と診断された途端、何もできない人のように思われがちです。若い人にも認知症を正しく理解してもらえるよう、われわれも情報を発信していくことが重要だと改めて感じています。

-家族は認知症をどう受け止めていますか。

 柴田>義母は認知症による幻覚が増えてきて、時々東日本大震災前に住んでいた家や、生まれた秋田の家にいるような感覚になるようです。進行した時の介護の在り方は想定できていませんが、2人の娘たちには「おばあちゃんは赤ちゃんに戻っているんだよ。みんなでお世話をするんだよ」と伝えています。

 大森>父が認知症と診断された時、俺の人生は終わったと思いました。ですが、経験を重ねる中で、知恵を使って自分が大人になるための勉強だと考えるようになりました。 
 父は王様のようにお世話をしてもらい、ある意味幸せだなとも思います。認知症になっても人生は終わりではないし、家族が不幸になるわけでもありません。だから、家族が認知症になっても絶望しないでほしいです。

柴田さん、大森さんの話に耳を傾ける河瀬さん(左)、秋田さん

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