もう一人のフランク安田(10・完) エピローグ 石巻の「宝」、偉業は不変
【元石巻・湊小校長 遠藤光行】
新田次郎は小説『アラスカ物語』巻末の「アラスカ取材紀行」で「この仕事ほど、書かねばならないという自意識に取り憑(つ)かれたものはなく、フランク安田という人物に惚(ほ)れ込んでしまった」と告白しています。フランクの生きざまは人をとりこにし『アラスカ物語』は読者を魅了する力を持っています。
インターネットで検索すると、フランク安田を知り、その生きざまに魅了されたことをつづっているコメントを目にしました。
フランク安田は石巻市にとって大きな宝ではないでしょうか。石巻市は、行政、教育・観光の分野で自信をもって「フランク安田」を発信していくべきだと考えるのです。
<連載を終えるに当たり>
『アラスカ物語』には利府町出身の阿部敬介は登場しません。それは、アメリカで2人が歩いた場所や年代が似通っていたため、新田が取材した段階でフランク安田に集約されてしまったためだったようです。ここまでの連載において、宇土さんの現地調査によって小説には描かれていなかったフランク安田の新たな面を加えて紹介してきました。日本からサンフランシスコまでの船中で出会った2人が一緒に下船したこと。数年後に、2人が同時に米国監視船ベアー号に乗船していたこと。フランクがアラスカのポイント・バローで下船した時、そこには阿部がいたこと。このように、2人には3度の運命的な出会いがあったようです。
エスキモー(イヌイット)とともに生きる決意をし、それを選択したのはフランクであり、病を抱えながらも千島へのトナカイ移入という壮大な夢を選択したのは阿部自身だったのです。
運命に左右されたとはいえ、2人は自ら誰かのために生きる道を選択したのでした。その導かれた運命によってたどり着いた場所で、それぞれがまい進する生きざまと無私の姿に私たちは強く心を打たれるのです。
阿部の存在が明らかになったからといってフランクの業績や偉大さが損なわれるものではありません。新たな発見によって変わる部分があったとしても、学芸員の野口さんが評価しているようにフランク安田の事績や生きざまは不変であり崇高なものと考えます。
新田次郎が小説に書き、それに感銘を受けてアラスカのビーバー村を訪れた里見亮さんが石巻とつないでくださったおかげで、フランク安田は今や市内で最も知名度の高い先人といえます。この輝かしい郷土の先人を市民は行政や教育・観光などの面でどう取り上げ、語り継いでいくのがいいのか各分野でぜひ考えるべきだと思うのです。
フランク安田は石巻にとって宝なのですから。
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