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水産業の活気、今に伝える 「天祐丸」資料、市に寄贈 石巻・尾形漁業

 かつて「天祐丸」の船名で母船式サケマスや北洋はえ縄などの大型漁船を数多く所有し、水産都市・石巻の発展に貢献した「尾形漁業」=石巻市あけぼの2丁目=が、地域漁業の歴史や文化、かつての活気を伝える資料数点を市博物館に寄贈した。2011年の東日本大震災で津波を免れ、同社が大切に保管してきた。博物館は「水産業の歴史を伝える貴重な資料」と指摘する。

1966(昭和41)年に新潟鉄工所で建造された遠洋底引き網漁船「第3天祐丸」の模型を梱包する泉田さん(左)と伊藤さん

 同社の起源は田代島の網元で、1957(昭和32)年、5代目の尾形孝三郎さん(1899~1984年)が会社を設立。北洋漁場を開拓するなど最盛期は大型漁船9隻を操業した。70年代の200カイリ規制による減船後は、近海のサンマ漁を行っていた。

 同社社長の尾形かなみさんが寄贈したのは、網元が大漁のご祝儀として全乗組員に贈った「カンバン」という着物8点など。着物は海を思わせる深い藍色の生地に、鶴亀などの縁起物、タイやマグロなどを鮮やかにあしらっている。

 正月におそろいのカンバンで初詣する乗組員らの写真もある。カンバンは江戸時代後期に始まった風習で、石巻では昭和30年代まで残っていたが、その後は途絶えたという。田代島の定置網の水揚げ帳、水難救済会の書類、造船所から贈られた漁船の模型などもあり、いずれもかつての漁業の活気を今に伝える。

 これらの資料は震災時、北上川沿いの事務所の2階にあった。津波が1階天井まで迫ったが浸水被害を免れ、その後、かなみさんの自宅に保管されていた。

 震災では、造船会社のドックに入っていた同社ただ1隻の漁船が津波で被災。当時社長の7代目孝雄さん(1943~2022年)の病気も重なり、水産業から撤退した。現在は不動産業を営んでいる。「石巻の水産の歴史を知るために役立ててほしい」(かなみさんの母徳子さん)と寄贈を申し出た。

 博物館学芸員の伊藤匠さん(30)と泉田邦彦さん(35)が8日、かなみさん方を訪れ、カンバンなどの資料を受け取った。4月に予定している博物館の収蔵展で展示する予定。

 2人はそれぞれ「かつての石巻の漁業の在り方や水産の歴史が分かる」(伊藤さん)、「地元の漁業会社で使われていたところに価値がある。展示すれば映えるので、市民の興味を呼びそう」(泉田さん)と資料価値の高さを指摘。かなみさんは「父と母が必死に守ってきた資料が、石巻の漁業や田代島の風習を伝える一助になれば幸い」と期待を込めた。

「大漁」の文字や鶴亀、マグロなどをあしらった「カンバン」。1961(昭和36)年製という

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