もう一人のフランク安田(9) 震災後の啓発活動 「フランク安田友の会」中心に
【元石巻・湊小校長 遠藤光行】
日本の法要に当たるメモリアルポトラッチの実行委員会の事業が一段落した後、活動は「フランク安田友の会」に引き継がれましたが、間もなく石巻は東日本大震災によって大きく被災しました。震災後のフランク安田関連の動きを、私が知り得る範囲で追ってみます。
▽「フランク安田友の会」
「友の会」は故藤間京緑会長の下、約100人の会員でスタートしました。震災後、早々に取り組んだのは津波で枯れた湊小の記念樹(桜)の再植樹でした。2014(平成26)年12月、6年生が協力して校門のすぐ隣に「交流記念の桜」の木を再植樹したのでした。
「友の会」は後年、総会や講演会の開催、関係資料の貸し出しや展示など、フランク安田の顕彰や啓発活動を継続しています。
▽ビーバー村に嫁いだ愛さん
「友の会」とも縁のあった東京の中島愛さんという女性が11年にビーバー村のクリフさんと結婚しました。愛さんはビーバー村の情報をブログで発信し、観光客向けの土産店や宿泊所の整備に力を入れるなど注目されていましたが、17年5月、夫婦でボートに乗って猟に出かけそのまま行方不明になったとのこと。関係者にとってはとても残念でなりません。
▽『みやぎの先人集』に掲載
13年7月、県教育委員会が県内の小学生向けに『みやぎの先人集・未来への架け橋』第1集を刊行、その中でフランク安田を取り上げました。宮城の子どもたちが身近な先人の生き方や考え方を学ぶことを目的に刊行されたもので、個人配布ではなく学校備え付けとなっています。かつてビーバー村訪問団として参加した友の会会員でもある高砂宏之教諭が執筆を担当しました。市内の多くの学校で道徳授業などで活用されることを期待したいものです。
▽北方民族博物館で展示
18年7月に北海道立北方民族博物館(網走市)で「日本人が出会ったアラスカ展」が開催され、フランクが取り上げられました。図録の中で野口泰弥(ひろや)学芸員がフランクを次のように評価しています。(遠藤が要約)
石巻市出身のフランク安田は新田次郎の小説『アラスカ物語』で広く知られている。新田氏の現地取材に協力した当時アラスカ大生だった堀内紘子氏によれば(1)フランクが「ポイント・バロー」のエスキモーを引き連れ移住を果たし、ビーバー村をつくった(2)フランクは、エスキモーや北方アサバスカンの人たちから尊敬されていた-の2点については、ビーバー村の古老たちの証言は一致していた、とのこと。つまり、『アラスカ物語』は小説だが、フランクの事績は真実である。
野口さんは、堀内さんの裏付けを基にフランクの事績の確かさを評価しています。
▽石巻市博物館に展示
21(令和3)年、待望の石巻市博物館が開館となり、先人コーナーにフランク安田も展示されました。里見さんがつないでくれたビーバー村の民芸品なども多数展示され、あたかもフランク安田が里帰りしたような錯覚を覚えます。
この展示コーナーを核とし、今後は街中にもフランクの足跡がたどれるような表示や看板などが整備されると、観光や教育の面で広がりが出るのではないでしょうか。
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