「復興再考」第7部 高台移転(2) 合意形成/命優先 人口流出防げず

かつて商店街があった石巻市雄勝町の旧中心部を歩く阿部晃成さん。今も復興事業への疑問を消せずにいる=2020年12月9日

 生家があった町の中心部は高さ9・7メートルの防潮堤に囲まれ、家並みは海抜20メートルの高台に移った。景色は様変わりし、かつてのにぎわいは消えた。
 「別のやり方もあったのではないか。思い描いた復興とのギャップが大きすぎる」
 石巻市雄勝町の大学院生阿部晃成さん(32)は、生まれ育った町中心部の現状に納得できずにいる。生家は津波で全壊し、現在は町の半島部で暮らしながら復興の研究に取り組む。
 東日本大震災の津波によって、雄勝町全体の7割に当たる約1100世帯が住宅の全壊被害を受けた。市は防災集団移転促進事業による高台移転を住宅再建の原則とした。浸水した約152ヘクタールは全て災害危険区域とし、居住を制限した。
 高台移転だけでは再建に時間がかかる。阿部さんは人口流出へ危機感を強め、2011年12月、住民団体「雄勝地区を考える会」を結成。「中心部に近い地域に盛り土でかさ上げする事業も併用してほしい」と市に訴え続けた。
 だが、市は震災級の津波の再来を想定し、海抜20メートル以上の高台での再建しか認めなかった。「命を最優先に考え、孫子の代まで安心して暮らせる地域を目指す」との理由からだ。
 震災から9年10カ月が経過し、安心して暮らせるはずの地域は厳しい人口減に直面している。
 町唯一の商店街があった中心部は、震災から6年後の2017年に雄勝中央団地として造成が完了した。住民は23世帯(約40人)。もう1カ所の移転団地などを含めても居住者は89世帯(約160人)に限られ、震災前に比べ9割減った。
 中央団地で18年に自宅を再建した佐藤美千代さん(71)は「子や孫に古里を残したかった。魚や野菜を隣近所でお裾分けしたりできる」と喜ぶ。その半面、「最初は3、4年で移転できると思っていた。もう少し早ければ住民も今より多かったのでは」と残念がる。
 リアス海岸が広がる雄勝町は平地が少なく、海辺に集落が形成されていた。震災後は仮設住宅の建設地も限られ、被災者の7割が町外でばらばらに避難生活を送った。
 市は12年夏まで町内20の地区ごとに高台移転の説明会を開いたが、出席が対象世帯の半数に満たない地区も目立った。
 市雄勝総合支所の前支所長阿部徳太郎さん(61)は「中心部は特に出席者が少なかった。それでも『時間がたつほど人が減る』との思いもあり、国への事業申請を急いだ」と明かす。
 行政側の狙いとは裏腹に、町全体の人口は震災前の約4300人から約1100人に減った。
 阿部さんは「他に選択肢はなかった」と語りつつ、心残りを口にする。
 「人口流出は手の打ちようがない面もあった。持続可能な地域をどう目指すか、宿題を残してしまった」

安心と利便性求め町外へ

 東日本大震災の後、高台移転による津波の「完全防御」を求める声は被災地内外で急速に高まった。石巻市雄勝町では震災の半年後、市が住宅の高台移転を原則とする復興方針を決めた。結果的に町内で集団移転を果たした被災世帯は全体の2割にとどまり、災後の混乱期に復興の道筋を描く難しさを露呈した。
 「メディアの論調も含め、日本中が高台移転を称賛する雰囲気だった」
 雄勝町の大学院生阿部晃成さん(32)は、2011年12月から住民団体「雄勝地区を考える会」の役員として、土地のかさ上げによる住宅再建を行政に訴え続けた約1年間を振り返る。
 主張が認められなかったばかりか、インターネット上で見知らぬ人から「なぜ危ない場所に住もうとするのか」「間違っている」などと批判を浴びた。阿部さんは「少しでも津波リスクがあると何も認めてもらえない状況だった」と語る。
 市雄勝総合支所は世論を背景に11年9月16日、高台移転の方針を決めた。住民有志ら36人でつくる「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」が7月、市に高台での宅地造成を含む復興要望書を提出したことなどを踏まえた。
 協議会は実際は一枚岩ではなく、かさ上げ再建を訴えた阿部晃成さんらもメンバーだった。市雄勝総合支所の前支所長阿部徳太郎さん(61)は「かさ上げ再建への支持は少数派。『あの津波を見たら、安全が確保されない場所には住めない』と泣いて訴える住民もいた」と説明する。
 だが、市が12年11月に実施した防災集団移転促進事業に関する被災者の最終意向調査は、行政に厳しい現実を突きつけた。結果はグラフの通り。被災した約1100世帯のうち、町内の防集団地を希望した世帯は約2割にとどまった。
 安全だけでなく利便性を求める被災者も多かった。震災後、雄勝町には暮らしの安心につながる病院やコンビニがなくなった。被災者の多くはもともと町外で働いており、石巻市の市街地周辺や市内の河北地区の団地への移転希望は3割を超えた。
 阿部さんは「最初は『町に残る』と言っていた人もどんどん町外に出た。便利なところに人が移った」と唇をかむ。
 雄勝町で復興支援に取り組んだ和歌山大の宮定章特任准教授(都市計画学)は「価値観が多様化し、単一の復興事業に多数の合意を得るのは難しくなった。事前に被害を想定し、地域ごとにどう生活再建するか話し合う必要がある」と提案する。
 南海トラフ巨大地震の被害が想定される地域などでは、自治体が「事前復興」を検討する動きが広がる。
 「考える会」の活動に区切りをつけ、復興の研究に励む阿部晃成さんは、15年に南海トラフの被害が想定される徳島県や高知県で講演した。
 「普段から地元をよく知る専門家と連携し、住民がまとまって復興を話し合えるようにしてほしい。災害後に混乱してから考えても遅い」。自らの苦い経験を教訓として伝えている。

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