20世紀最大で最後の木造帆船と言われる慶長使節船「サン・ファン・バウティスタ」の復元船。歴史的事業で建造の陣頭指揮を執ったのが、村上定一郎さん(1908~2000年)だ。港町・石巻が誇る木造船の建造技術を高め「棟梁(とうりょう)の中の棟梁」と言われた。
石巻市門脇町の船大工の家に生まれた。石巻尋常小を1923年に卒業後、15歳で市内の村上造船所に弟子入り。2度の徴兵を経て40年に造船所に戻った。
戦後は木工場長としてカツオ一本釣り船や巻き網船、マグロはえ縄船など多様な漁船の建造に注力。石巻の漁業の発展を支えた。生涯に手掛けた木造船は100隻を超えたという。
村上さんの親戚に当たる会社役員鈴木千代正さん(64)=石巻市=は幼い頃に村上さんの自宅を訪れた際、会社の部下が集って酒席が開かれていたのを覚えている。「人望が厚かったのだろう。おとなしい人で穏やかな話し方が印象に残っている」と振り返る。
村上さんは73年ごろに造船所を定年退職した。復元船建造の総責任者として白羽の矢が立ったのは90年のこと。いとこで建造共同企業体の代表に就いた造船所の村上忠二社長(故人)から打診された。
退職から15年以上が過ぎ、年齢は80歳を超えていた。復元するのは500トンを超す巨船だが、これまで手掛けたのは大きくても220トンほど。正確な設計図もなく「到底無理だ」と一度は断った。だが熱心な協力要請を受け、意を決した。
昔の仲間を一軒一軒訪ね歩いてベテランの船大工約40人を集め、92年4月に起工した。船大工の一人だった芳賀亨(とおる)さん(83)=涌谷町=は「村上さんは副棟梁を通じて指示を出した。口数が少なくて怖かったが、現場で怒ることはなく、立派な方だった」と語る。
93年5月に石巻市中瀬であった進水式。復元船が旧北上川に無事に浮かぶと、村上さんの目に涙がにじんだ。芳賀さんは「巨大な木造船を現代によみがえらせた。最高の技術者だった」とたたえる。
市内の渡波地区の県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)に展示されている復元船は老朽化が進み、県が修復を断念した。解体後の2024年度に4分の1の大きさで繊維強化プラスチック(FRP)製の後継船を造る方針。
浜田直嗣館長は「村上さんらが受け継いできた三陸の船大工の技術や心意気を未来にどう伝えていくか。私たちの世代に課せられた宿題だ」と話す。
(石巻総局・氏家清志)
[メモ]サン・ファン・バウティスタは江戸時代初期、仙台藩が建造した洋式帆船。藩主伊達政宗がスペイン国王らの下に派遣した慶長遣欧使節の支倉常長一行を乗せ、太平洋を2度往復した。サン・ファン館は復元船の公開展示を3月末で終える。
私たちの暮らす現代社会の豊かさは、先人たちのたゆまぬ努力と強靱(きょうじん)な意志、優れた知性や感性などに支えられ、長い年月をかけて育まれてきた。宮城の地域社会に大きな影響を及ぼしてきた人々の足跡をたどり、これからの社会やおのおのの人生をより良くするヒントを学び取りたい。
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