<とびらを開く>住民が主役 再建加速 地域と行政を結ぶまちづくり

 仙台市中心部から東に約10キロに位置する田園集落にある宮城野区南蒲生地区は東日本大震災で甚大な津波被害を受けました。地区の一部は市の指定する災害危険区域の対象となり、危険区域の設定と線引きの変更により住民は翻弄(ほんろう)されました。
 危険区域内で防災集団移転事業により移転する住民、危険区域外で移転を希望する住民、同じく危険区域外で現地再建を希望する住民と「三者三様」の状況に置かれました。
 個々の生活再建においてそれぞれに不安を抱える住民は、地域全体の復興に向けてどうしたらいいのでしょうか。
 住民からの相談と仙台市からの声掛けをきっかけに、地域と行政のつなぎ役を担ったのが、NPO法人都市デザインワークス(UDW、仙台市青葉区)。2011年12月、まちづくりのコンサルタントとして、市から現地へ紹介されました。代表理事の榊原進さんに話を伺いました。

 「まちづくりは市民・地域が主役であるということを念頭に置いている。復興こそ、これを意識しないとおかしくなる」と榊原さんは力を込めます。
 もともと南蒲生地区の町内会は定期的に会合を開き、意思疎通が図られていました。町内会の総会で復興部の設立が承認され、UDWは個々の住宅再建を尊重しつつ、これからのまちづくりについて検討を進めました。
 毎週開催される復興部会議やワークショップ、全世帯アンケートを通じ、南蒲生の魅力や復興に向けた課題を整理し、将来像と具体的な方策を描く「南蒲生復興まちづくり基本計画」の策定を支援しました。
 当時、復興部の部長を担っていた芳賀正さん。自身も津波被害に遭いました。避難所から仮設住宅に移り、少しずつ気持ちも落ち着き、これからのことを考えられるようになったものの「まちを何とかしないとならないと思ったが、何をどこから始めていいのか分からなかった」と振り返ります。
 復興部は約20人となり、「若手や女性、年配の人も、地域のいろんな立場の人々と一緒に話し合いができた」と言います。仮設住宅では、住民同士は顔を合わせる機会が多く、集会所もあり、話し合うにも条件が良かったそうです。「専門家からアドバイスを受けながら話し合いを進めていくうちに、自分たちで進行や会議の準備も分担するようになっていった」
 13年3月、「杜の都の田園文化を受け継ぐ『新しい田舎』」を目標に掲げた「南蒲生復興まちづくり基本計画」を仙台市に提出。その後、まちづくりを「自分ごと」として「みんなで」取り組むための実践計画「アクションプラン」を策定し、4年間の活動を経て復興部は役割を終え、16年1月から新体制となった町内会が中心となりまちづくりに取り組んでいます。

 URリンケージ東北支店の技術顧問、元仙台市都市整備局長の小島博仁さんにも話を伺いました。
 市の震災復興本部にいた頃、まちづくりの計画を立てる前に津波浸水シミュレーションを外部に依頼。検討した結果、南蒲生地区については、堤防の役割を果たすかさ上げ道路の計画位置が地区の中心集落よりも東側に設定されることになりました。
 「結果的に南蒲生は地域を分断することになってしまった」と悔いをにじませて当時を振り返る小島さん。住民の思いを受け止めつつ、「被災を最小限にすることが前提。防災に関しては行政が最終的な判断をする必要がある」と強調します。

 まちづくりは、みんなで考えることが必要。しかし行政と地域だけでは対峙(たいじ)してしまう懸念があり、第三者の存在が必要-。そのような考えから、小島さんは震災前から知るUDWに声を掛けたそうです。「まちづくりとは、自分たちの活動が地域の生活の潤いにつながること。潤いにつながるというのは、地域の活動を通して、住民の心の潤いを目指すというものがまちづくりだと思う」
 第三者の存在が住民の意識を喚起し、住民が主体的に取り組んだ南蒲生地区再生へのまちづくり。「平時のまちづくりは事前復興でもある」と榊原さんが話していました。そのために普段から住民同士が顔の見える関係を心掛けることが大切だと思いました。それは災害時の備えの一つにつながるからです。
(NPO法人せんだい・みやぎNPOセンター 青木ユカリ)

河北新報のメルマガ登録はこちら
志民の輪

私たちの周りでは、たくさんの市民団体・NPOが地域課題の解決などを目指して活動しています。「認定NPO法人杜の伝言板ゆるる」と「NPO法人せんだい・みやぎNPOセンター」が交代で担当し、さまざまな団体の活動や地域課題について伝えていきます。

第68回春季東北地区高校野球
宮城大会 組み合わせ表

先頭に戻る