一人残され泣いた日々 「二つ」の家族と歩む

わが子と一緒に遊ぶ嶺岸さん=2月24日、石巻市子どもセンターらいつ

 東日本大震災の発生から11日で10年となった。改めて「忘れない」と心に刻む人がいる一方、遺族にとっては「忘れられるはずのない」日々の積み重ねでもあった。震災で引き起こされた東京電力福島第1原発事故の影響も今なお続く。被災者、避難者、遺族…。一つの呼称では決してくくれない人生を、一人一人が歩んできた。

 時が流れ、あの日1人残された女性は守ってくれる人と出会い、守りたい命を授かった。

 2月13日午後11時すぎ、石巻市の主婦嶺岸美紗子さん(32)は、旧北上川河口にほど近い自宅寝室で異変を感じ、布団から跳び起きた。緊急地震速報が響き、大きな揺れが収まらない。10年前がフラッシュバックする。「津波が来る」「死ぬかもしれない」。思わず悲鳴を上げていた。

 夫(32)に促され、長女(3)と長男(2)の避難の用意を始めた。1人だったら恐怖で動けなかった。津波の心配はないと分かった後も、ストレスで頭がガンガン痛んだ。

 快方に向かったのは2日後。いつも通り遊びをせがみ、世話の焼ける娘と息子が、現実に引き戻してくれた。「しっかりしないと。親なんだから」。自分に言い聞かせた。

 旧姓は榊。震災時は市内の門脇小近くの実家で、家族3人と暮らしていた。家ごと津波にのまれ、母ひとみさん=当時(51)=と祖母美代子さん=同(79)=を亡くした。父健之(たけし)さん=不明当時(53)=は今も行方が分からない。

 がれきに引っ掛かり、自分だけ助かった。大きな揺れの後、地域では避難を始めた人もいた。家族と一緒に逃げなかったことが、悔やんでも悔やみ切れない。

 親戚宅で半年ほど過ごし、市内のアパートで1人暮らしを始めた。小さな仏壇に手を合わせ、「両親と祖母はきっと見守ってくれている」と考えるのが心の支えだった。

 年末年始など人が集まる時期が嫌いになった。家族がいる人がうらやましい。孤独を感じては泣いた。亡くした家族を思う一方で「家族が欲しい」との思いも募った。

 夫は幼稚園からの幼なじみ。震災の5年後に連絡を取り合い、再会した。地域のことなど共通の話題が多く、会うと長話になった。心が和む。結婚は自然の流れだった。

 2017年6月に娘が生まれ、翌月には新居が完成。18年12月に息子が誕生した。「波乱続きだったけど、やっと落ち着けた」

 結婚後、自分は二つの家族と歩みを共にしていると感じる。娘が生まれて数カ月後、幼いわが子に母の面影が重なり、涙が出た。息子が生まれた時の体重は3174グラム。下3桁が父の身長と同じではっとした。

 男女1人ずつ授かったことも、両親から「父や母と思って大切にしろ」と言われている気がする。

 11日は石巻南浜津波復興祈念公園に整備された慰霊碑を訪れた。記された両親と祖母の名前に触れ、静かに手を合わせた。

 公園近くの実家跡は道路に変わった。買い物帰りなどに、車を止めて「ただいま」と言うのが習慣になった。いつの間にか、娘がまねをするようになった。娘はまだ理由を知らない。

 「成長した娘に『どうしてジジ、ババがいないの』と聞かれたら、震災の事を教えたい。子どもたちには、私のようにつらい思いをさせたくないから」

 避難の声掛けができず、家族を亡くした。教訓を伝えるため、取材を受けた記事は切り取ってノートに貼ってある。(須藤宣毅)

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