「守れなくてごめん」 娘の笑顔に、いつかまた

常連客に笑顔で弁当を手渡す柴田さん。午前中は接客に追われた=11日午前11時25分ごろ、気仙沼市
お宮参りの記念写真に納まる(左から)晃佑さんと日向ちゃん、陽太君を抱く静佳さん=2010年7月

 東日本大震災の発生から11日で10年となった。改めて「忘れない」と心に刻む人がいる一方、遺族にとっては「忘れられるはずのない」日々の積み重ねでもあった。震災で引き起こされた東京電力福島第1原発事故の影響も今なお続く。被災者、避難者、遺族…。一つの呼称では決してくくれない人生を、一人一人が歩んできた。

 目を閉じれば、ピンクの長靴ではしゃぐ幼いままの笑顔が浮かぶ。なのに2回だけ現れた夢では、後ろ姿でこっちを振り向いてくれなかった。

 「守れなくてごめん」

 気仙沼市の柴田静佳さん(38)は、長女日向(にこ)ちゃん=不明当時(2)=を震災の津波に奪われた。やり場のない思いの渦にのまれまいと、懸命に日々を歩んできた。

 あの日、家族で避難中に車が濁流に襲われた。あと少しで高台への坂道を上る時だった。後日、同乗していた夫晃佑さん=当時(30)=と祖母横山さかえさん=同(86)=が遺体で見つかり、日向ちゃんだけ今も行方が分からない。

 直後は昼も夜も大泣きした。子が先に死ぬ不条理を受け止められなかった。少しでも事実に向き合いたくて、小さな体が隠れていないか街じゅうのがれきを捜し回った。

 日向ちゃんは、晃佑さんに抱かれ車外に出たはずだった。「あの後、どうなったんだろう」。もっと早く逃げていれば、別の場所に向かっていれば-。無数の「もし」が頭をよぎっては、答えのない堂々巡りを繰り返した。

 「なんで助けてくれなかったの」。無念さの矛先を、晃佑さんに向けてしまうこともあった。「いない人を責めるなんて…」。すぐに打ち消し、考えるのをいつも無理やりやめた。

 じっとしていると、死ぬことばかりが頭をもたげる。心の闇を振り払うように仕事に没頭してきた。

 晃佑さんの代わりに2011年5月、津波で全壊した家業の「亀山精肉店」を市内の仮店舗で再開させた。仮設商店街での営業を経て、14年9月に自宅兼店舗を再建した。

 接客をすれば空元気でも気が紛れた。「しーちゃん頑張って」。仮設商店街の仲間の励ましに支えられた。ただの素人だったのに、店舗設計も商品企画も営業も自力でこなし、自分の中の強さに気付いた。

 仕事に打ち込むほど経営は安定した。昼時は弁当や総菜を買い求める多くの客でにぎわう。晃佑さんが全国区にしようと力を入れていた「気仙沼ホルモン」も販路が広がった。

 静佳さんは長男陽太君(10)をおぶって津波から逃げ、一命を取り留めた。陽太君の存在も生きる支えになった。最近ふとしたしぐさや面影が、晃佑さんに似てきた。

 「もうやめてよ」

 2年ほど前、陽太君の言葉にはっとした。いつものように晃佑さんの話を聞かせていた時だった。「陽太にとっては知らないおじさん。押し付けてたんだなって」。思わず笑った。

 「大変な思いをした分、幸せになろうね」。いつも2人で話す。店を継がなくてもいい。好きなように生きてほしいと心から願う。家族の事は聞かれたら答えることにした。

 あれから10回目の3月11日を迎えた。家も生活も変わり、寝る前に絵本を読み聞かせた時の幸せな感覚は遠のく。納得したふりをしていても、考えだせばきっと、日常に戻れないほど深く沈み込むだろう。

 だからせめて、この日だけは心から祈りをささげようと決めていた。店先での仕事を終え、午後2時46分、津波にのまれたあの場所で、陽太君と2人だけで静かに手を合わせた。

 「ごめんね。でも頑張って生きるから、そっちで会う時は笑顔を見せて」。いつか、その約束を果たせるように。今日からまた、精いっぱいこの現実を歩む。
(鈴木悠太)

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