「日本人の行動、行為が後世に笑われ、批判されるようなことがないように、品位を維持し日本の国際的信用を高めたかった」
1942年、42歳でブルネイ県の初代知事に就任した木村強(1899~1978年)は、在任中に貫いた信念をこう回顧録に記した。東南アジアのボルネオ島北部に位置するブルネイは太平洋戦争中、日本の統治下にあった。
木村は栗原市栗駒出身で旧制築館中(現築館高)、中央大法学部卒。県庁に務めていた時に戦争が始まり、旧陸軍の行政官としてブルネイ県知事に就いた。
木村はまず、ブルネイの事情を知ろうと国王の弟を秘書に迎える。農地開墾、病院建設、学校開設、教育制度づくりなど、国の基盤開発に特に力を注いだ。
原油の豊富なブルネイは南方戦線の要衝で、それまで英国が統治していた。占領国の搾取、強制労働が一般的だった戦時中、木村の姿勢は異質だった。「手ぬるい」と批判も受けた。
ブルネイ在住の大河内博さん(53)は、ブルネイ日本大使館に勤務した15年ほど前、王族や大臣から旧日本軍と木村の話を聞いた。
「搾取よりも開発を優先する方針を決めたのは軍か木村かはっきりしないが、この方針を実行したのは木村だった」と説明する。
1年ほどで木村は県知事の任を解かれ、マレーシアで終戦を迎える。帰国後は仙台に戻り、検事、県選管委員長などを務めた。
63年3月、木村の元に手紙が届いた。「ぜひブルネイに呼びたい」。国王からの招待を伝える文面だった。国王には当時、知事秘書だったオマル・アリ・サイフディン3世が就いていた。
翌年、木村はブルネイに赴く。国王と旧交を温め、先々で歓待を受けた。
農場や学校も見学した。「王様をはじめホテルのボーイに至るまで日本に対し親近感を持っている」(回顧録)。22年前、自身のまいた好感と信頼の種は、しっかりと根付いていた。
郷里の栗原市で木村を知る人は少ない。木村のおいの子の高橋昭さん(78)=栗原市栗駒=は小学生の頃、仙台市の木村の自宅を何度か訪ねた。「とても穏やかで物静かな印象。ブルネイの知事だったことはずっと知らなかった」と語る。
ひ孫の木村光太郎さん(31)=東京都=は、木村の足跡を5年前に知り、ブルネイに興味を持つようになった。今は静岡県熱海市とブルネイの交流事業に携わる。
「木村強をきっかけにブルネイに関心を持つ若者が増え、交流が広まればうれしい」。曽祖父のまいた種が、たくさんの大きな実を結ぶことを願っている。
(栗原支局・門田一徳)
[メモ]人口約40万のブルネイは原油と天然ガス資源が豊富で、経済水準は東南アジアでシンガポールの次に高い。天然ガスなどを輸出する日本が最大の貿易相手国。東日本大震災では、同国政府から約8000万円、民間から約2400万円の義援金が日本に寄せられた。
私たちの暮らす現代社会の豊かさは、先人たちのたゆまぬ努力と強靱(きょうじん)な意志、優れた知性や感性などに支えられ、長い年月をかけて育まれてきた。宮城の地域社会に大きな影響を及ぼしてきた人々の足跡をたどり、これからの社会やおのおのの人生をより良くするヒントを学び取りたい。
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