つつが虫病と闘う東北 ノンフィクション作家・小林照幸さんに聞く

小林照幸さん

 宮城県で5月下旬、患者が確認された感染症の「つつが虫病」は、毎年この時季から秋にかけて発症しやすい。著書に「死の虫 ツツガムシ病との闘い」があるノンフィクション作家小林照幸さんに、かつて東北の「風土病」とされた感染症との闘いの足跡や対策を聞いた。
(聞き手はコンテンツセンター・藤沢和久)

最上川と寒河江川の合流点近くにある恙虫祠(つつがむしほこら)。1916年、当時の溝延村の有志3人が建てた=山形県河北町溝延(小林照幸さん提供)

 -以前は東北の日本海側の風土病と言われていた。

 「横手市、山形県白鷹町などに原因のツツガムシに関する石碑や地蔵、ほこらが残る。新潟県五泉市では毎年6月に『虫送り』という退散祈願祭が行われる。白鷹町の小学生は地域について学ぶ際にほこらを見学するという。地域の住民が史跡や慣習を大切に伝承し、感染症の恐ろしさを語り継いでいる」

 「高熱が出て死に至る病にもかかわらず、治療法が長年見つからなくて住民は命懸けだった。抗生物質がなかった時代はどれだけ脅威だったか。新型コロナウイルスの感染が拡大し、アマビエなどにすがる今日と重なる」

つつが虫病の犠牲者をを弔うため1904年に建立されたケダニ地蔵尊=秋田県横手市大雄(小林照幸さん提供)

 -コロナ禍で患者や医療従事者への差別も社会問題となっている。

 「農作業などで河原の畑や開墾した中州に入った後に発症し、人から人へ感染することはないという経験則が共有されていた。一概には言えないが、他の風土病とは受け止められ方が異なったようだ」

 「もっとも住民は『病に苦しめられた田舎』『恥ずかしい歴史』との負のイメージがあったようだ。病原体が発見され、治療法が確立されても『わが町は克服した』などと誇ることはできなかっただろう」

地域の住民が1860年に建立した毛谷(ケダニ)明神のほこら=山形県白鷹町(小林照幸さん提供)

 -秋田では地元の医師の活躍が語り継がれている。

 「東京帝大を卒業した湯沢の田中敬助(1862~1945年)は自宅で医院を開き、『日本沙蝨(ツツガムシ)病研究所』を設立した。田中に師事した大曲(現大仙市)の寺邑政徳(1886~1962年)は近代医学を基に治療法発見に奮闘した」

 「『地元の病気を治さずして何のための医者か』との気概がうかがえる。まだ秋田大医学部などがなかった時代であり、自分らがやらざるを得ない意識もあったと思う」

小林照幸著「死の虫 ツツガムシ病との闘い」

 -密を避けようと、キャンプなどアウトドアへの関心が高まっている。

 「つつが虫病の知識のない人が対策を取らず、サンダル、半ズボンなど肌を露出した格好で山や川に入ることがありそうだ。今年は例年より感染確認が増えるかもしれない。つつが虫病には早期の発見と治療が欠かせず、知らなかったでは済まない事態になる場合もある。子どもに関しては保護者が責任を持って対応しなければならない」

[こばやし・てるゆき]信州大卒。明治薬科大在学中の1992年「毒蛇」で開高健賞奨励賞、99年「朱鷺(とき)の遺言」で大宅壮一ノンフィクション賞。長野市出身。53歳。

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