震災遺構・大川小あす公開 議論10年、学校事故の教訓 後世へ

 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった旧石巻市大川小が18日、市の震災遺構として一般公開される。遺族感情への配慮や、保存か解体かを巡る市民らの議論を重ね、公開まで10年超を要した。被災校舎をそのまま保存し、学校管理下で戦後最悪とされる事故と震災の教訓を後世に伝える。

18日から一般公開される震災遺構大川小

 敷地面積は約3・35ヘクタールで被災当時の状態を残す旧校舎、慰霊と追悼の広場、展示施設「大川震災伝承館」、校舎北西の駐車場を整備した。旧校舎周辺は桜並木や植栽などで区切った。

 伝承館は木造平屋で延べ床面積約300平方メートル。震災時の状況、児童遺族が起こした津波訴訟の記録などをパネルで展示する。立ち入り禁止の校舎内の映像をパソコンで見られるほか、大川地区の震災前の街並みを再現した縦約3メートル、横約2メートルの模型を設けた。事業費は約4億5000万円。

 公開までには長い道のりを経た。

 被災校舎は当初、遺族への配慮や「検討は時期尚早」との声から震災遺構の候補にならなかった。現地保存への道筋をつくったのは地元住民らの思いだった。

 住民団体の大川地区復興協議会は2015年5月、住民126人へのアンケートに基づき、被災校舎全体を残して一帯を「鎮魂の森」にするよう市に求めた。

 保存への賛否が割れる中、亀山紘市長(当時)はアンケートや公聴会を踏まえ、16年3月に「震災伝承や犠牲者追悼の場として重要」と述べ、震災遺構とする考えを表明。市は17年7月に整備方針を策定した。

 19年10月には、津波訴訟で学校側の事前防災の不備を認めた仙台高裁判決が確定。20年4月に遺構整備工事が始まり、展示内容に関する遺族側との協議を経て一般公開が決まった。

 協議会会長を務めた大槻幹夫さん(78)は「保存と解体双方の意見を聞く立場で、個人的な考えは述べなかった」と振り返る。

 遺族から「わが子の死を無駄にしたくない」との声も聞いたといい「あの場所に被災校舎があるだけで事故の教訓が残される。(学校防災に)警鐘を鳴らす場になってほしい」と語る。

[メモ]震災遺構全体の見学は無料で、午前9時~午後5時。大川震災伝承館のみ毎週水曜、年末年始(12月29日~1月3日)が休館。震災月命日の毎月11日は開館する。

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