<アスリートの伴走者>震災で練習できる幸せを知る バド・桃田の福島・富岡一中の恩師

恩師の斎藤さん=福島県広野町

 「非力で小柄な子」。12歳で故郷香川を離れ、福島にバドミントン留学してきた男の子は、恩師の目にそう映っていた。

 小学生時代から全国制覇など輝かしい実績を残してきた桃田賢斗(NTT東日本)は、進学先に福島県富岡町の富岡一中(現ふたば未来学園中)を選ぶ。同校は2006年に県の強化事業としてバドミントン部を創設。桃田が入学したのはその翌年のことだった。

 監督だった斎藤亘さん(49)=現福島県立ふたば未来学園中教諭=は、小さな体に高い吸収力が備わっていることに驚かされた。

 上級生に見たこともないフェイントを掛けられると、すぐに見よう見まねで仕返した。「試合を重ねるごとに、ものすごくうまくなった」。競り合いにはめっぽう強い。「負けん気の強さは持って生まれたもの」

 性格は天真らんまんだ。一貫校の富岡高の先輩も、臆することなく試合に誘う。「負けてもなぜか喜んでいる。強いお兄ちゃんと戦うのがうれしかったのだろう」。クラスではムードメーカー。「柔らかい頭の持ち主で、何事も楽しく過ごす天才だった」

 競技に打ち込める幸せな日々は、東日本大震災で一変した。町は東京電力福島第1原発事故で警戒区域に。生徒たちは実家に戻ったり、他県に避難したり散り散りに。再び顔を合わせたのは約2カ月後だった。

 拠点を猪苗代町に移したが練習場所はない。ついこの間まで避難所として使われていた体育館を間借りした。外には救援物資として活用された毛布、衣類が山積みになっている。「練習できることがどれだけ幸せかみんな分かっていた」と斎藤さんは振り返る。

 桃田はその年の世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。翌年は日本人として初制覇を果たした。16年リオデジャネイロ五輪は金メダルを期待される日本のエースとなったが、わずかな心の隙も生まれていた。

 五輪直前に違法賭博問題が発覚。無期限の出場停止処分となり代表の座を失った。17年5月に復帰したが好事魔多し。昨年1月に遠征先のマレーシアで交通事故に巻き込まれ右目を負傷した。

 「一人では背負い切れないような経験をしてきたのだろう」。昨夏、斎藤さんは合宿で福島を訪れた桃田に人間としての成長を感じた。厳しい練習の合間に後輩一人一人とラケットを交わす。「生徒はみんな感激していましたよ」。1週間の合宿で、その数は24人に上った。

 桃田は事あるごとに復興への思いを語るが、恩師の考えは違う。「五輪は復興のためというより、自分のために楽しんでほしい」

 メダルのあるなしは関係ない。「五輪が終わったらまたこの地に来てほしい。それが福島の人が期待していることだから」

[桃田賢斗(ももた・けんと)]2012年世界ジュニア選手権を制覇。18年に日本男子初の世界選手権優勝。19年は世界選手権2連覇を含め、国際大会で年間11勝の最多記録を達成。昨年1月に遠征先のマレーシアで交通事故に巻き込まれ右目を負傷。12月の全日本総合選手権で復帰した。175センチ、72キロ、26歳。香川県出身。

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