<アスリートの伴走者>石巻を照らす希望の星に バレー・藤井を導いた「第2の父」

藤井を高校時代に指導した石巻工高の教頭佐々木さん=石巻工高

 「今を耐えるんだ。この経験が、絶対に生きる時が来る」。東日本大震災の後も、恩師はぶれずに励まし続けた。それから10年。苦難を乗り越えた教え子は、石巻の希望の星となった。

 「吸収力がとにかくすごかった」。バレーボール男子日本代表セッター、藤井直伸の古川工高時代の恩師、佐々木隆義さん(56)=石巻工高教頭=は、そう振り返る。

 入部当初の藤井には、トスを上げる時にボールをすぐに放せない悪癖があった。「攻撃に速さが出ない。上のレベルに行けば行くほど苦労するぞ」。幼少期からしみこんだ癖。直すのは難しいが、藤井はすぐに修正できた。代名詞であるミドルブロッカーとの高速コンビネーションの基盤は、この時期に作られた。

 「あの子の人間形成に、とても良い影響を及ぼした」。佐々木さんがこう評す出来事が、高校1年の7月に起きた。

 入学して難なくレギュラーをつかんだ藤井は、球技大会で左膝を骨折した。一つ上の先輩が、未経験のセッターを務めた。必死に練習してカバーする姿を、藤井はコートの外から目に焼き付けた。

 佐々木さんは「チームのために頑張る大切さを学んだ。てんぐにならず、常に低姿勢なのはあの時の出来事が大きい」と強調する。

 藤井は高校3年間を、佐々木さんが自宅に併設した寮で過ごした。今も帰省した際は、佐々木さんの妻、3人の娘も一緒に食卓を囲む。藤井にとって佐々木さんは恩師であり、第2の父親のような存在でもある。

 「高校卒業後は消防士になりたい」という藤井に、進学を勧めたのは佐々木さんだった。「Vリーグでやれる実力はある」。順大進学後、長らく控えに甘んじると、サッカー日本代表DF長友佑都(マルセイユ)の大学時代の苦労話を持ち出した。「試合中、応援席で太鼓をたたいていた男が、今や日本代表だ」

 大学1年時の東日本大震災で、石巻市の海沿いにあった藤井の自宅は被災した。試合に出られない。苦しむ故郷に戻りたい。競技を辞めたい-。揺れる葛藤に、恩師は寄り添った。「今石巻に戻っても職は見つからない。今できることを、一生懸命やろうじゃないか」。大学3年で定位置をつかみ、名門東レに進んだ。

 「あの子の進路には、ずっと責任を感じていた」。佐々木さんは胸をなで下ろす。「五輪は頑張ってきた直伸にとってのご褒美だと思う。被災地を勇気づけたいという思いを、本当に持っている子。精いっぱい自分のプレーをしてほしい」。温かいまなざしで語った。
(狭間優作)

[藤井直伸(ふじい・なおのぶ)]東レ、宮城・古川工高-順大出。17年に日本代表初選出。多彩なトス回しに定評がある。東日本大震災では家族は無事だったが、仮設住宅での生活を強いられた。183センチ、78キロ。29歳。石巻市出身。

河北新報のメルマガ登録はこちら


企画特集

先頭に戻る