同僚の証言から犠牲職員の最期に迫る 大槌町が調査報告書

娘の裕香さんの最後の目撃情報などをまとめた調査報告書を読む小笠原さん夫婦=大槌町

 東日本大震災の津波で多くの職員が亡くなった岩手県大槌町は21日、犠牲職員一人一人の経緯を、生き残った職員らへの聞き取りを基に追った状況調査報告書を公表した。平野公三町長は「二度と大槌のような悲劇が起こらないでほしい。記録と教訓を後世に伝える」と目的を語った。

 報告書はA5判109ページで全4章。第1章は地震発生直前から翌朝までの職員の動きを時系列で再現。第2章は犠牲職員の最後の目撃情報を一人ずつまとめた。第3章は甚大な人的被害がなぜ発生したのか、専門家の知見を交えながら原因を探った。第4章は同僚が故人の面影をしのんだ。
 町では震災で当時の町長と町職員計39人が亡くなった。当時の職員数は三役、臨時職員を含めて216人。死亡率は2割近くに達した。
 町は2013年度、16年度の2度、震災時の対応を反省するための検証を実施。19年には震災記録誌「生きる証(あかし)」を発行した。今回の調査は、家族の最期を知りたいという2組の遺族の要望で20年2月に始まった。対象は第三セクターの畜産公社職員を含む犠牲者40人で、うち2人の遺族が調査や掲載を辞退した。
 報告書には犠牲職員の推定最終目撃地点を地図形式で記した。これまでは災害対策本部を設置した旧役場庁舎周辺で28人が亡くなったとされていたが、31人が庁舎周辺で最後に目撃されていた。
 被害が拡大した要因には(1)庁舎被災時に災対本部を移設する具体的な基準が明記されていなかった(2)個々の職員がラジオなどで得た津波情報を組織的に集約できる状況になかった-など6点を挙げ、重なり合って惨事を招いたと指摘した。
 町長については当時防災担当職員だった平野現町長の証言「非常時の動きをどうするかという部下からの説明が日頃から足りなかった」が掲載されている。
 町によると、今回の聞き取りで、震災発生後に町長が何か指示をしたとの証言はなかった。平野町長は自治体首長の心構えとして「常に災害をイメージすることが必要。マニュアルに頼らず、自ら情報収集して命を守る行動が取れるようにする」と述べた。
 聞き取りは任期付き職員に任命された元新聞記者の佐藤孝雄氏(55)が担当した。当時の職員のうち打診に応じた46人と、業者や町民計10人から協力を得た。
 平野町長は「ここに至るまでさまざまなプロセスがあり、震災から10年たったからこそできた調査だと思う。職員は事実と遺族にしっかり向き合ってくれた。つらい作業で気苦労を掛けたが、聞き取りだからこそしっかりとした報告書になった」と話した。
 報告書は700円で販売する。町のホームページにも来月掲載する。連絡先は協働地域づくり推進課0193(42)8718。

遺族は一定の評価、感謝も

 ようやく町が調査をまとめる責任を果たした-。完成した調査報告書に職員の遺族は一定の評価や感謝を示す。一方で「決定的な事実は分からなかった」「もっと早く調査に取り組んでくれれば」と落胆や不満の声も上がった。
 「私たちの要望を理解し聞き取り調査をしてくれた。娘の最後がどうだったのかは分からず、残念な面はあるが、町が雇用者の責任を果たしたのは評価する」。小笠原人志さん(68)は妻の吉子さん(69)と共に沈痛な面持ちで語った。
 福祉課職員だった娘の裕香さん=当時(26)=を亡くした。2019年2月、平野公三町長に聞き取り方式での死亡状況調査の実施を強く要望。町長は当初難色を示したが、遺族訪問を経て方針を転換した。
 報告書で町長は震災当時、防災行政の担当者だった自らの責任を認め、「甚大な被害を防げなかった」と謝罪。調査が不十分だったことについても「お許しをこいたい」と記した。
 小笠原さんは「町長の思いは受け止める」としつつも「新しい事実はほとんどなかった。もっと早く記憶が定かなうちに調査をすれば違ったかも」と悔やむ。
 前川寿子(ひさこ)さん(62)は監査委員室職員だった夫の正志さん=当時(52)=を失った。「せっかく調べてもらったのに苦しくて全部は読めなかった」。表情に悲しさ、つらさがにじむ。
 調査の実施を小笠原さんと一緒に平野町長に求めた。「平野さんは震災後すぐ『ちゃんと調べて説明する』と約束したが、何年たっても動かなかった。今も不信感が強い」と話す。
 報告書には津波に流された正志さんに庁舎屋上へ避難した同僚が垂れ幕を投げ救助を試みる場面がある。「生き残った人の助けたい思いが分かっただけでも…。本人も助かりたかったと思う」と涙ぐんだ。
 「同僚が思い出をつづる欄が胸に刺さった。兄貴の仕事ぶりが伝わってきた」と話すのは倉堀康さん(37)。兄の健さん=当時(30)=は福祉課職員だった。
 「以前の役場には震災資料の破棄などおかしな点もあったが、今は震災を見つめ直そうという方向性が生まれている。報告書が地域を良くする礎の一つになればいい」と期待する。
 いずれの遺族も、証言した職員らへの感謝を口にした。「つらいことを思い出させてしまい申し訳ない」と前川さん。吉子さんは「裕香は『いい職場だよ』といつも言っていた。役場の皆さんでいい町をつくってほしい。私たちのような遺族を二度と生まないでほしい」と願った。

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