東勇作(あずま・ゆうさく)―革新的演目を代表作に

水浴するニンフ(女神)に惑わされる牧神を演じる勇作のブロンズ像=仙台市青葉区の西公園
独創的なジャンプで魅了した勇作(「牧神-或いは東勇作-」より)

 仙台市西公園(青葉区)の一角に、日本のクラシックバレエの先駆者・東勇作(1910~71年)のブロンズ像がある。気だるい雰囲気を漂わせた独特のポーズは勇作を代表する演目「牧神の午後」の一場面だ。

 西公園に近い青葉区大町で大工の棟梁(とうりょう)の三男として生まれた。姉の嫁ぎ先の横浜でロシアのダンサー、アンナ・パブロワの舞台に魅了され、バレエを志した。

 「男が踊るなんて」。長兄の良治に広瀬川の河原に連れ出され、何度も殴られた。意思を変えない弟を良治もついには認め、経済的に長年支え続けた。

 1928年に旧制二中(現仙台二高)を卒業して上京し、ロシアの亡命ダンサーに師事した。当時はバレエの草創期で情報が少なく、体格も欧米人に比べハンディがある。独学でフランス語の技術書を読んだり研究会に参加したりして努力と実績を積み、41年に自らのバレエ団を設立した。

 舞踏研究家の蘆原(あしはら)英了は「一度も見たことのない外国のバレエの名作を、原作を見るように(実際の舞台のように)振り付けていた」と勇作の努力に舌を巻くほどだった。(生誕100周年記念誌「牧神-或(ある)いは東勇作-」より)

 勇作が特に関心を持ったのが、ロシアの革新的バレエ団「バレエ・リュス」。伝説的ダンサーのニジンスキーが振り付けて主演した「牧神の午後」は、勇作のバレエ団の第1回公演で上演し代表作となった。「叔父に合った演目だった」。勇作のめいで、自身も仙台から上京してダンサーとして活躍した東博子さん(84)=東京=が振り返る。

 戦後の一時期は表舞台を離れ、後進の指導などに当たった。戦前からの門下生の松山樹子、松尾明美、薄井憲二らは戦後のバレエ界に大きな足跡を残した。門下生によく「立派な踊り手になるためには踊りのテクニックだけでは足りない。他の芸術にも深い理解がなければ」と話していた。

 おいの東光彦さん(81)=仙台市青葉区=は東京での学生時代、勇作と浅草で洋画を見た。「自宅には洋書がたくさんあった。おしゃれで、まだ珍しかったコーヒーを飲んでいた」と懐かしがる。

 67年の舞踊40周年公演を最後に舞台を去り、71年に喉頭がんで亡くなった。生涯独身だった。門下生の多くは鬼籍に入ったが、その精神は没後半世紀を迎えた今も日本のバレエ界に引き継がれている。(報道部・佐藤素子)

[メモ]西公園のブロンズ像は高さ約160センチの等身大。1958年ごろに作られ、RKB毎日放送(福岡市)敷地に置かれた。勇作の教え子で公益社団法人日本バレエ協会の薄井憲二会長が譲り受け、2014年に仙台市に寄贈した。勇作の墓がある冷源寺(仙台市若林区)にも同じポーズで高さ約30センチの銅像がある。

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みやぎ 先人の足跡

 私たちの暮らす現代社会の豊かさは、先人たちのたゆまぬ努力と強靱(きょうじん)な意志、優れた知性や感性などに支えられ、長い年月をかけて育まれてきた。宮城の地域社会に大きな影響を及ぼしてきた人々の足跡をたどり、これからの社会やおのおのの人生をより良くするヒントを学び取りたい。


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