「復興五輪」の舞台は遺体安置所 東日本大震災の悲劇も知って

メインスタンド側の大屋根支柱に亀裂が見つかった宮城スタジアム=2011年6月

 東京五輪男女サッカー競技会場となっている宮城スタジアムがある宮城県総合運動公園(グランディ21、利府町)は、東日本大震災時に被災地支援の拠点となり、総合体育館は犠牲者の遺体を安置する場所となった。祭典の舞台に刻まれた悲劇の記憶。当時を知る関係者は「訪れた人にここがどんな場所だったのか理解してほしい」と願う。

 町内に住む東北大教授の村松淳司さん(62)は、東京五輪の大会ボランティアとしてスタジアムで国内外の報道機関に対応する。活動の際、英語やポルトガル語など複数の言語で書いた手作りのメッセージカードを配っている。

 カードには歓迎の言葉に続き「震災は10年前の2011年3月11日でした」と記載。「復興が世界中の人々に支えられていることを決して忘れません」と締めくくった。村松さんは「感謝を伝えるとともに、被災地を広く覚えていてほしい」と狙いを語る。

 総合体育館が安置所となったのは11年3月12日。行方不明者の手掛かりを求め、連日多くの人が訪れた。ロビーには発見場所など遺体に関する情報が書かれた紙が張られた。

 「床一面にひつぎが並んでいた」。仙台市若林区の主婦山田はるみさん(71)は、津波の犠牲になった父遠藤源右衛門さん=当時(91)=と兄寿一さん=同(67)=と総合体育館で対面した。「あまりの遺体の多さに父と兄の死も仕方がないと感じてしまった」と振り返る。

 村松さんは当時、仲間と一緒にボランティアとして敷地内で迷う家族らを誘導した。「おかげさまで子どもに会えました」。安置所を案内した20、30代の夫婦から言われた言葉が今でも忘れられないという。

 運動公園は災害対応の拠点ともなった。震災翌日には長野県の緊急消防援助隊の車両43台が到着。韓国やロシアなど海外の救援隊も集結した。行方不明者の捜索に当たった長野市消防局の渡辺孝通信指令課長(58)は「津波被災地は建物の基礎しか残っていなかった。目印もなく、どこから手を付けていいのか困惑した」と語る。

 震災から10年が過ぎ、施設の補修作業が終わった運動公園に爪痕は見られない。スタジアムは東京五輪の数少ない有観客会場となっており、30、31日にも男女の試合が予定されている。「機会があれば『復興五輪』がここで行われる意義を伝えたい」。村松さんは両日もスタジアムで活動するつもりだ。

[宮城県総合運動公園(グランディ21)]敷地面積約146ヘクタール。スタジアムのほか総合体育館、総合プール、合宿所などの施設と約5500台分の駐車場がある。2001年のみやぎ国体に向け整備された。02年日韓ワールドカップ(W杯)サッカーでは日本対トルコなど計3試合が行われた。東日本大震災でスタジアムの大屋根支柱の約7割に亀裂が入り、総合プールには重さ約3トンのスピーカーが落下するなどした。

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