8日に閉幕した東京五輪では、県ゆかりの選手たちがさまざまな競技で活躍した。栗原市築館出身の菅原兵衛(1907~88年)は県初の五輪選手に選ばれ、ボート代表として28年アムステルダム五輪に臨んだ。
農家の6人きょうだいの長男に生まれた。旧制築館中(現築館高)から東京高等工業学校(現東工大)に進学した。「学業を続けたい」と家族に懇願して上京したという。
身長173センチの当時としては大柄な体格を見込まれ、同校の蔵前端艇部に熱心に勧誘されて入部した。
おいの栗原市築館の菅原昇さん(70)は、中学の修学旅行で訪れた上野駅で菅原と面会した。「同級生が『お前のおじは外国人なのか』と驚いていた。とにかく背が高かった」と懐かしむ。
蔵前端艇部で菅原は練習に明け暮れ、実力を付けていく。日本は、アムステルダム五輪で初めてボート競技に出場することになり、菅原を含む7人がかじ付きフォアの代表に選ばれた。
出国前、築館中で壮行会があった。「築高六十年史」への寄稿文で菅原は、「全校をあげての激励、盛大な見送りに先頭に立って心を配られたのが片寄(政直)先生であった」などと思い出をつづっている。
ボートと出合ったのも築館中だった。毎年、競漕(きょうそう)会があり、菅原は2年の時に出場。会場は、干拓事業で伊豆沼と分かれた現在の内沼の築館B&G海洋センター艇庫周辺とみられる。
内沼そばに住む蓬田親彦さん(77)は、「ボート部があったことは築館高時代に教師から聞いた。今は地元でも知っている人はいないと思う」と説明する。
代表7人はロンドンで約1カ月トレーニングを積み、五輪に臨む。菅原は最終的に補欠に回った。1回戦はポーランドに敗れ2着、敗者復活戦は米国に敗れ2着だった。
卒業後、製錬企業に就職して競技から離れた。「国費で五輪に行かせてもらいながら補欠だった」。菅原は力不足を悔い、五輪やボートの話を家族にほとんどしなかったという。
晩年、肺の病を患った。長女の佐々木彰子さん(78)=東京都小平市=は「父は『(故郷に)帰りたい』とよく口にした。体調が優れず、帰省はかなわなかった」と話す。東京都三鷹市の自宅に、いぐねに囲まれた生家の写真をずっと飾っていた。
菅原が死去した8年後の96年、県体育協会は県民初の五輪代表に選ばれた功績をたたえ、菅原に表彰状を贈った。
(栗原支局・門田一徳)
[メモ]「築高百年史」では、菅原兵衛を五輪に出場した同窓生として紹介する。1年先輩の歌人黒沢裕(1904~94年)は78年ごろ観光で訪れたオランダで、「わが友の菅原兵衛ここに敗れしボートコースの側を過ぎゆく」と詠んだ。
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