象潟地震の家屋倒壊、原因は地震動 津波襲来指摘のにかほ・関地区

水田の中に島々が点在するにかほ市象潟町。左奥は鳥海山(同市提供)

 秋田県にかほ市象潟町で江戸時代後期に発生した象潟地震で、津波被害の可能性が指摘されていた一部集落の家屋倒壊は地震動によるものだったことが、東北大災害科学国際研究所の蝦名裕一准教授(日本近世史)ら研究チームの調査で判明した。

東北大チーム、史料を検証

 研究チームは象潟町関地区に残っていた江戸時代の行政文書「関村(せきむら)伝来文書」を、歴史学と津波工学の観点から解読。関村の家屋全68軒の6割を超す45軒が倒壊に当たる「潰家(つぶれや)」で、死者も8人という大きな被害だったことが分かった。

 死者が出た家屋は全て潰家で、海からの距離によらず潰家が点在していた。このため、従来の研究で指摘されていた津波襲来による影響は関村になく、家屋の被害は地震動によるものと結論づけた。

 被災後の復興政策に関する記述も読解。発生直後は「潰家」「大痛(おおいたみ)」の2段階だった家屋被害の分類に関村の名主が「中痛(ちゅういたみ)」を加え、3段階に細分化していた。領主からの拝借金を、被害の程度に応じて効率的に分配するのに役立てたとみられる。

 文献記録が残る「歴史地震」の研究は近年、防災対策への活用にも役立つとして注目されている。蝦名准教授は「過去の地震や津波の被害が確証のない解釈で過小評価された例もある。史実の丹念な検証が、今後の防災対策を考える上でも重要だ」と話す。

[象潟地震]文化元年6月4日(1804年7月10日)発生。現在の由利本荘市から酒田市にかけて最大震度6強程度(推定)の激しい揺れや津波による被害があり、家屋倒壊6252軒、死者387人とされる。当時、日本三景の松島と並ぶ景勝地だった象潟湖の海底が一夜にして隆起、湖が陸地化した。現在は水田の中に島々が点在する希少な風景が広がる。

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