北緯71度、夏でも平均気温は3、4℃、冬は太陽が昇らない極夜が続く極寒。北極海に突き出たアラスカのポイントバローは米国最北端の地だ。
この陸の秘境に、旧加瀬村(現利府町)出身の阿部敬介(1864~1898年)は数年間滞在し、極地の気象観測と先住民の生活を丹念に記録。その成果を本にまとめ出版した。「アラスカを日本に初めて本格的に紹介した日本人だ」と北方民族博物館(北海道網走市)の野口泰弥学芸員(34)は評価する。
阿部は後に2代目利府村長となる阿部東四郎氏の長男として生まれた。阿部家は代々塩釜神社(塩釜市)の社家の家柄で、地主。寺子屋を開塾し、教育熱心な家系でもあったという。
阿部は1882年に帝国大医学部に入学。だが、体調を崩し志半ばで翌年に退学した。回復後は85年に鉄道局に就職し、鉄道について学ぶため86年に渡米した。現地で鉄道関連の会社に入ろうしたが、当時は日本人を受け入れてくれる環境ではなく途方に暮れた。
その折に、密輸防止のためにアラスカ沿岸を警備する米国税関局の監視船ベアー号が日本人船員を採用すると耳にし就職した。阿部の働きぶりはよく、会計兼庶務係にも任命された。
当時のアラスカ沿岸は捕鯨が盛んだったものの、北極海では激しい風と流氷が船の進路を遮り、航海は命懸け。難破船が続出し、米国はポイントバローに避難所を開設した。91年に阿部はこの避難所での勤務を命じられ、気象観測や先住民の風俗の観察にのめり込んだ。
94年に休暇をもらい、一度帰国。95年に「北氷洋州及アラスカ沿海見聞録」を出版した。現地の気象記録に加え、先住民の住環境、食文化、漁業などが驚くほど緻密にまとめられている。野口学芸員は「現在でも、アラスカ先住民について日本語で書かれた最も充実した本の一つ。頭脳明晰で観察力が鋭い」と絶賛する。
阿部は再度渡米したが、98年に肺の病気のため異国の地で生涯を閉じた。
阿部には、日本の領土だった千島列島にシベリアからトナカイを移し繁殖させようとする目標もあったようだ。当時のアラスカでは米国が試みていた。肉は食料になり、毛皮は衣服や寝具になる。千島列島でもトナカイの飼育を成功させ、日本からの現地移住者を後押ししようと考えたのだろう。
アラスカガイドを長年務め、阿部について調査した無職宇土康宣さん(77)=東京=は「異国の地でも母国の発展に思いを巡らせていた阿部は志が人一倍高く、使命感が強かったのだろう」と説明した。
(多賀城支局・石川遥一朗)
[メモ]利府町の天祥寺には阿部の墓があり、彼の業績が刻まれている。阿部がアラスカで収集した民族資料は国立民族学博物館(大阪府吹田市)が所蔵する。新田次郎の代表作「アラスカ物語」の主人公で石巻市出身のフランク安田(本名安田恭輔)とも現地で交流があったと言われる。
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