志賀潔が晩年過ごした山元に石碑 感染症研究の功績紹介

志賀潔の石碑を囲み、記念撮影する直史さん(前列右端)ら

 赤痢菌を発見した細菌学者、志賀潔(1871~1957年)の業績を伝える石碑が、晩年を過ごした宮城県山元町磯浜の高台にある住居跡に建てられた。孫の直史さん(72)=川崎市=が建立し、12日の除幕式でお披露目された。
 雄勝石を使った石碑は縦60センチ、横120センチの大きさで、鮫川石の上に設置されている。
 志賀が磯浜を理想郷に見立てて呼んだ「無可有之郷(むかうのきょう)」の文字を刻み、感染症の研究と公衆衛生の普及に尽くした功績を紹介。1916年に磯浜に別荘を建てて静養にたびたび訪れており、太平洋戦争で東京の自宅が焼失したため「風光明媚(めいび)な当地に移り住み、晩年まで過ごした」と伝える。
 志賀は74歳から86歳で亡くなるまで、太平洋を望む木造平屋の住居で、直史さんの父である次男一家と暮らした。住居は2008年に親族が亡くなった後、空き家になり、東日本大震災で床下浸水した。16年6月、火災で全焼した。
 除幕式には、直史さんの姉と兄、同級生ら約25人が参加。神事に続き、石碑が披露された。石碑自体は昨年完成していたが、新型コロナウイルスの感染拡大で設置時期が延びていた。
 23歳まで磯浜に住んでいた直史さんは「祖父は海を眺めながら悠々自適に過ごしていた」と懐かしみ、「何かを残したいと思っていたので肩の荷が下りた。コロナという感染症がまん延する時期と重なったことに因縁を感じ、感慨深い」と話した。

 志賀潔 仙台市生まれ。現在の東京大医学部を卒業後、伝染病研究所で北里柴三郎に師事。1897年、赤痢菌を発見した。慶大医学部教授、旧京城帝大総長、北里研究所顧問などを歴任。文化勲章受章者。仙台市名誉市民。1964年、第1号の山元町名誉町民に選ばれる。

太平洋を望む高台の住居跡に建てられた石碑
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