車いすバスケ銀メダル 藤本選手「応援、そばにいるようだった」

 東京パラリンピックの車いすバスケットボール男子で、日本初の銀メダル獲得に貢献した藤本怜央(れお)選手(37)=SUS=が15日、母校の東北福祉大(仙台市青葉区)を訪れ、千葉公慈学長らに結果を報告した。

 千葉学長は「強豪を破り、素晴らしい結果を残してくれた。誇らしい」と花束を贈った。藤本選手は「卒業後も連絡をくれた先生方がずっとそばで応援してくれたようだった。今まで競技を続けてきたからこそ努力が報われた」と語った。

 静岡県出身の藤本選手は2002年の入学と同時期に競技を始め、クラブチームの宮城MAXに所属した。パラリンピックには04年のアテネから5大会連続で代表入り。今大会は攻守の要として決勝まで全8試合で先発出場した。

母校を訪問し、千葉学長(左)と高橋英寛理事長(右)とともに記念撮影に応じる藤本選手

仙台の生活がターニングポイント

 藤本選手は報道陣の取材に答え、東京パラリンピックを振り返るとともに、今後の目標を語った。主なやりとりは次の通り。

 -男子では過去最高の7位から躍進した。

 「5年前に守備で世界に勝つというコンセプトを掲げて、大会中もチームの成長を感じ取った。準決勝の英国戦を除けば、守備で抑えて勝ち上がった」

 -米国との決勝戦は4点差の接戦だった。

 「目の前の金メダルに手が掛かるところを逃した。この4点差を1点差で勝つ努力をしたい。世界一を目指すのは使命だと思う」

 -日本中が熱狂した。

 「全国からの応援を実感しながら戦えた。五輪と同じ熱量でパラリンピックが開催され、期間中にパラの認知度も高まった。日本のパラスポーツにとって、飛躍的な大会となった」

 -集大成と位置付けた東京大会が終わり、今秋から2季ぶりにドイツリーグに参戦する。

 「今までは日本代表が活動の軸だった。これからは自分が世界でどこまで通用するのかを試したい。チームメートには米国代表もいる。練習で評価されないと試合には出られない」

 -世界を目指す意義は。

 「僕の挑戦によって若い選手が世界に挑む道を開くきっかけになる。大学進学後に障害者スポーツを知り、仙台での生活が人生のターニングポイントになった。今後も仙台から日本代表を輩出し続けるよう活動していきたい」

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