<モネのいる風景>住民ら一体、伝統つなぐ (下)登米能と森舞台

月1回開かれる合同練習「月並会」で謡う高橋さん(右端)ら登米謡曲会の会員=8日、登米市登米町の伝統芸能伝承館「森舞台」

 舞台を囲む竹林から押し寄せるようなセミの鳴き声に負けじと、謡曲を謡う声が響き渡る。8月8日、宮城県登米市登米町の伝統芸能伝承館「森舞台」であった登米謡曲会の合同練習「月並会」。毎月第1日曜、四つの支部が森舞台に集い、稽古の成果を披露する。

 登米謡曲会は、藩制時代に登米伊達家の家臣らがたしなんでいた能文化を引き継ぐ。登米支部の高橋尚さん(59)も継承者の一人。14年前に入会し、舞台では脇役を意味する「ワキ」を務める。

 登米能の特徴は、地元住民だけで能を成り立たせていることだ。高橋さんは登米市横山小の教諭で、週1回ある支部の稽古に通う。

 NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」では、新田サヤカ役を演じる夏木マリさんが森舞台で仕舞を舞い、笛を吹いた。

 登米市で6月にあったNHKの生放送番組の収録後、夏木さんは「地元の人たちが能を舞っているのを見て文化の深さを感じた」としみじみ話した。登米能を引き継ぐ人たちの姿に心を動かされたようだ。

 登米の能文化は生活に溶け込んでいる。高橋さんは、世阿弥が残した「離見の見」という言葉を好む。自分から離れた観客の立場で、自分の演技を客観的に見るという意味だ。「舞台だけでなく教壇の上でもそうありたいと努力しています」と笑う。

 ただ、謡曲会の後継者不足は深刻だ。会員36人の大半は70歳以上で、1人が欠けても舞台を成立することができない危機的状況という。高橋さんは「後世に残すためにも若い人たちに能の魅力を伝えたい」と話す。

 モネの放映で、謡曲会の本拠地・森舞台は全国的に有名になった。週末になると観光客の姿が途絶えることはない。建設計画に携わった旧登米町(現登米市)企画観光課職員の河内安雄さん(67)は「すっかり登米町の観光名所になった」と感慨深げだ。

隈氏が設計した森舞台の全景。竹やモミジに囲まれ、四季折々で表情を変える

 1996年に建てられた森舞台。河内さんは「完成まで苦労の連続だった」と振り返る。

 登米伊達家ゆかりの鉄砲鍛冶屋敷跡の寄贈を受けて、建設計画は一気に具体化した。当時、新進気鋭の建築家として知られていた隈研吾氏に設計を依頼した。隈氏はその後、新しい国立競技場などの設計を担うことになる。

 当初、隈氏側から提示された事業費は5億円。町が用意できたのは2億円しかなく、舞台下を腰板で覆うのをやめたり、建材をヒノキからヒバにしたりするなど大規模な設計変更を余儀なくされたという。

 能舞台鏡板の松と竹は、日本画家の千住博氏が描いた。河内さんは「(顔料の)コバルトなどの材料費に予算が取られ、ほとんど制作費を払えないにもかかわらず引き受けてくれた」と明かす。

 住民にも協力を募った。音響効果を高めるため舞台下に設置したかめは、民家で眠っていた水がめを寄贈してもらった。

 河内さんは「隈さんと千住さんら専門家と住民が一体となって完成できた。森舞台と登米能は登米文化の結晶だ」と強調した。

千住氏が描いた舞台鏡板の松と竹。壁に収まり切らない松は舞台を囲む木々と一体化しているという意図が込められている

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