仙台沿岸の津波被災地、広がる復興格差 現地再建地区の世帯数激減、荒廃続く

更地が広がる集落で、草取りに汗を流す住民ら=11日、仙台市若林区井土

 仙台市沿岸の東日本大震災の津波被災地で「復興格差」が広がっている。現地再建となった若林区井土地区の世帯数は震災前の1割に減り、住宅跡地は荒廃したまま。一方、市が災害危険区域として土地を買い上げた防災集団移転跡地は、観光農園や複合施設の整備が進む。被災から11年4カ月が過ぎ、小集落は取り残されたかのようだ。(報道部・坂井直人)

 地区は海岸から約1キロにあり、津波で関連死を含めて37人が犠牲になった。今月11日、元住民を含め約30人が集まり、津波避難タワー周辺の草刈りやごみ拾いに汗を流した。月命日の清掃は6月に始まった。

 家屋が全壊した集落には、壊れた塀を残す更地が目立つ。商店も消防団屯所も郵便ポストもなくなった。家の替わりにプレハブ事務所や倉庫、畑が増えた。

 「とてもじゃないが復興したとは言えない。『限界集落』ではなく『消滅集落』になるのではないか」。3月まで町内会長を5年間務めた三浦紘一さん(80)の危機感は強い。

 震災前に103世帯約370人いた住民は12世帯約20人に激減。ほとんど70代以上で若い世代や子どもはいない。

 宮城県が5月に公表した津波想定で、最大5メートル未満の浸水が見込まれる。自主防災組織の結成が必要と感じるが、高齢化で困難だ。

津波避難タワーから井土地区の復興状況を語る三浦紘一さん

 井土地区は復興政策に翻弄(ほんろう)されてきた。市は一時、災害危険区域として集団移転する方針を示したが、海岸堤防の整備で現地再建に転換。既に多くの世帯が公費による住宅解体を申請し、残った人はわずかだった。

 災害危険区域から外れた住宅跡地は市に買い取られない。市街化調整区域や農業振興地域のために建物新築が制限される。市内の別の場所に転居した会社員三浦聡一さん(61)は「子孫の負の遺産になりかねない」と嘆く。

 近隣の集団移転跡地は、市が利活用策を公募した43ヘクタールのうち、8割近い32・8ヘクタールでめどが立った。体験型観光農園「JRフルーツパーク仙台あらはま」、複合施設「アクアイグニス仙台」などが次々開業した。

 古里の存続へ向け「残った人も離れた人も苦しみは同じ」と、元住民も一緒に動き出した。昨年7月にまちづくり推進委員会を発足し、会合を重ねる。郵便番号を冠したリポート「9840842」の発行や、農産物販売会など集いの場づくりにも取り組む。行政頼みにせず、主体的に土地利活用策を探る。

 紘一さんは「これからがスタート。解決に時間はかかるだろうが、何とか打破したい」と前を向く。

集落の再生阻む開発規制

 現地再建が認められた被災跡地に新たな住民を呼び込み、人口が激減した集落を維持する-。井土地区は109万都市の開発規制に阻まれ、復興の青写真すら描けない。仙台市は「市街地の拡大に当たる」との見解で特別扱いしない方針。国の土地利活用支援事業も現地再建地域を想定せず、政策からこぼれ落ちる。

 市は原則、農家や分家を除いて市街化調整区域での住宅建築を認めていない。同様に津波で被災した種次、三本塚両地区(ともに若林区)は市街化区域から2キロ以内にあるなど一定の要件を満たしたエリアで許可されたが、井土地区は該当しない。

 今年3月の市議会2月定例会で質疑があり、市議が地区を限定して新築を認める他市の事例を挙げ「集落を被災前の状態に戻すことまで否定しなければならないのか」と復興に対する市の姿勢をただした。

 「新築できるようになれば家屋が増える」「インフラの維持管理や環境負荷の少ない効率的な都市経営など、さまざまな影響がある」と市側。将来的な人口減少を見込んだ機能集約型の都市づくりを強調し「地域が中心となって話し合っていくことがまずは重要」と述べるにとどまった。

 復興庁は被災した土地の利活用を促進するため、地域課題の解決を支援したりガイドブックを作成したりするが、対象はあくまで防災集団移転跡地やかさ上げした造成地となっている。

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