<「86」を継ぐ 広島 原爆の記憶> (3)表現活動 聞いた証言 ありのまま

 広島に原爆が投下された8月6日は、広島で「86(はちろく)」と呼ばれる。自らの体験として86を知る被爆者の平均年齢は84歳を超え、記憶の継承が喫緊の課題となっている。7月28日から11日間、広島市主催の国内ジャーナリスト研修に参加した。伝承の現場などを取材し、東日本大震災の被災地が得られるヒントを探った。(報道部・山老美桜)

飯田さんの話を聞いて描いた「原爆の絵」とサンガーさん

被爆者の体験、高校生が絵に

 無数の遺体が横たわっている。服は燃え、皮膚が垂れ下がって赤黒い血もにじむ。背後の広島の市街地は猛火と煙に包まれている。

 広島市基町高創造表現コース3年のサンガー梨里(りり)さん(18)が描いた油絵。被爆者の飯田国彦さん(80)の話を基に、原爆投下翌朝の様子を表現した。

 基町高の生徒らは広島平和記念資料館(広島市)の依頼を受け、2007年度から「原爆の絵」を制作している。これまで本年度分11点を含む182点が完成し、被爆者の証言活動で使われている。

 爆心地から約1・4キロ。市中心部を流れる川に架かる住吉橋で惨劇を見た当時3歳の飯田さんの記憶は鮮明だ。

 「この遺体が、さっきまで生きてもがいていたように表現してほしい」

 飯田さんが繰り出す細かい指示に、サンガーさんは必死に食らいついた。

 「横たわる一人一人に家族があり、人生があった。そんな思いを込めて描き切った」とサンガーさん。飯田さんも「何度も描き直してくれた。よくやってくれた」と目を細めた。

主人公は10代半ばの女の子

 1945年8月6日午前8時15分。

 人類史上初めて投下された原爆は地上600メートルでまばゆい閃光(せんこう)を放ち、強烈な熱線と爆風を放射して広島の街を破壊した。そして、多くの命を奪った。

 あの日の惨状を伝え、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、表現活動に携わる人たちはそれぞれの手法で作品を残している。

 主人公はまだ10代半ばの女の子。広島の市街地を走る路面電車の運転士だった主人公は、あの日の爆発で電車の外に投げ出される。目を覚まし、防空壕(ごう)を出て見た広島の風景は-。

 少女漫画のような筆致の作品は「原爆に遭った少女の話」。

 「さすらいのカナブン」のペンネームを持つ広島県在住の40代会社員女性が2012年に発表した漫画だ。

祖母の話 漫画で伝える

 広島電鉄が戦時中に設立した家政女学校で学び、路面電車の運転士だった祖母の被爆体験を実話にした。破壊された広島の市街地、そして激しい熱線と放射線を浴びて消えていく命。戦争がもたらす理不尽な現実を幼いころから祖母に聞き、いつか漫画にして伝えようと心に誓っていた。

 11年ごろに漫画を描き始め、他にも祖母のいとこや原爆孤児の男性、被爆者の治療に当たった軍医など4作品をウェブ上で無料公開している。被爆の実相や当時の暮らしが学べて良かったという感想が寄せられている。

 被爆を伝える作品は、ともすると悲惨さを際立たせるために現実を誇張したり歪曲(わいきょく)したりされやすい。しかし、カナブンさんはそうした手法を避けようと心がけている。

 「当時を知る人は少なくなっている。できる限り正確な情報を入れた漫画を、読者が原爆の実態を知るきっかけにしてほしい」

 史実に基づき、ありのままに描くことが表現者としての責務だと思っている。

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