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「どうする政宗」 県慶長使節船ミュージアム館長が出張講座 なぜスペイン語の船名?

サン・ファン・バウティスタ号命名の経緯と歴史的背景について話す平川館長

 全面改修で休館中の県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)の冬季出張講座「どうする政宗~サン・ファン・バウティスタという船名でいいの?」が2月25日、石巻市開成の市複合文化施設(マルホンまきあーとテラス)で開かれた。サン・ファン館の平川新館長が講師を務めた。

 仙台藩祖伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節船はスペイン語で「サン・ファン・バウティスタ号」(洗礼者聖ヨハネ号)と呼ばれるが、藩の記録には「大船」「黒船」としかない事実に触れた。

 平川館長は「政宗の側近で使節船建造を主導した人物でさえ『サン・ファン・バウティスタ号』という表現を使ったという記録は日本およびスペイン双方に一切なく、政宗も自ら建造を命じた船にこの名が付けられたと知らなかった-と考えるのが妥当」とした。

 その上で「仙台市史を編さんした際、1617年3月にメキシコの副王がスペイン国王に出した書簡の中に、サン・ファン・バウティスタ号との記述がある。そして『同船は二年前に国王陛下が日本の国王にもたらすようにお命じになった贈り物を船載してアカプルコを出帆したもので、大変難儀な航海で、辛うじてかの地(日本)へ入港することができたといいます』との表記がある上、2回目の入港時に描かれた絵図などの傍証もある」とした。

 その上で誰が命名したのかについて、平川館長は「サン・ファン・バウティスタはスペイン語であり、スペイン人が命名したはずだ」と指摘。

 「徳川幕府の貿易船『サン・セバスチャン号』を建造したのは探検家のビスカイノ。当時、スペインは太平洋海域を支配しようともくろんでいた。ビスカイノは仙台藩の港の調査をしており、港に『サン・フェリペ』などスペイン語で命名している。その植民地主義の流れで『サン・ファン・バウティスタ号』と名付けられた」と推察を披露した。

 サン・ファン・バウティスタ号の表記に関し、平川館長は「政宗が造った船をスペインの植民地主義に由来する名で呼び続けていいのか。宮城県以外の知名度も低い」と提起。

 「当時の呼び名『政宗の船』、それを元にした『伊達政宗の黒船』、さらには『伊達の黒船 サン・ファン・バウティスタ号』など、政宗の偉業と認知度を高める効果を付与した愛称を考えてもいい」と述べ、大航海時代の歴史ロマンを石巻の地でさらに進化させるアイデアを提示した。

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