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3.11の いま(1)自主移転選択 石巻市小船越「光ケ丘団地」、防集事業と支援に格差

新しい住宅が立ち並ぶ「光ケ丘団地」。団地道路は砂利敷きのままになっている

 発生から12年を迎える東日本大震災は、いまだ多くの課題を住民や行政、事業者に突き付ける。被災地の現在を歩いた。(保科暁史)

   ◇

<道路まだ未舗装>

 国道脇の高台にこぢんまりとした団地が広がる。立ち並ぶ住宅は真新しいのに、その間を走る道路は舗装されておらず、砂利道だ。

 石巻市小船越の「光ケ丘団地」は、東日本大震災の被災者が自主事業で造成した「集団移転団地」だ。市内沿岸部の長面や雄勝、北上各地区などから集まった13世帯35人が暮らす。震災の津波で自宅を流され、家族を失った住民も多い。

 市の防災集団移転促進事業(防集)には加わらなかった。自主移転の事業が動き出したのは2011年夏。防集ではまだ、いつ、どこに自宅を再建できるかは見通しもつかなかった。

 住民でつくる団地の会の武山裕記会長(70)は長面地区にあった自宅が被災し、家族5人が犠牲になった。「仮設住宅にいると精神的に切迫感があった。とにかく早く安全な場所に落ち着きたかった」と当時の思いを語る。

 団地を造成した土地は津波の心配がなく、住んでいた沿岸部からもそれほど遠くない。知人のつながりなどで移転希望者が徐々に集まった。地権者と住民が協力し、開発業者を入れずに行政の許可手続きや団地の設計などを進めた。

 12年夏に開発許可が下り、住宅建設が始まった。同年11月に再建を果たした住民の男性も津波で家族を亡くした。「打ちひしがれて何もできなかった。自宅を再建したことで、少しずつ動き出せた」と振り返る。

<造成は自己資金>

 住民は自宅があった移転元地を市に買い取ってもらったが、防集と違い、団地造成は自己資金だった。それぞれの自宅の建設にも費用がかかる。道路の舗装はいったん諦め、砂利敷きで整備した。

 しかし、道路の一部で用地買収が頓挫。10メートルの区間だけ、幅が市道認定基準の6メートルに50センチ足りなくなった。砂利道は騒音や車の故障を引き起こす。自費で舗装をしても、市道に認定されなければその後の維持管理費は住民にのしかかる。

<市道認定されず>

 市や国には開発の計画段階から「復興事業」としての支援を求めてきたが、認められなかった。せめて舗装や市道認定だけでもと思い、昨年9月には「市長室開放デー」で市長に直談判もしたが、進展はない。

 防集は公費で安全な団地が築かれ、移転にも手厚い支援があった。それを待てなかったのは自分たちの選択だとしても、武山会長は「同じ被災者なのに差があり過ぎる」との思いを消せずにいる。

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