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伝統の一戦で恩返しの一打を 悪性リンパ腫から復帰 仙台二高・荻野さん

フリーバッティングで力強くバットを振る荻野さん

 戦後78回目の仙台一高・二高野球定期戦が13日、仙台市宮城野区の楽天モバイルパーク宮城で行われる。仙台二3年の荻野秀飛(しゅうと)さん(18)は昨春、悪性リンパ腫を発症。過酷な闘病で一時は野球への情熱を失ったが、仲間や家族の支えを励みにグラウンドに復帰した。「元気にプレーしている姿を見せて恩返しがしたい」と、伝統の一戦への出場に意欲を燃やす。

過酷極めた闘病、仲間からのエールが支えに

 77回目の定期戦があった2022年5月14日。入院していた東北大病院(青葉区)で、右腕の激痛や高熱に苦しんでいた荻野さんのスマートフォンに夕方、動画が届いた。

 「荻野、頑張れよ!」。約30人の部員が一斉に声を出す。おそろいのTシャツの胸には「OGINO」と当時の背番号「15」がプリントされていた。

 「みんな一緒なんだ」。荻野さんはエールに感動し、声を抑えて泣いた。

 小学2年の時に野球を始め、兄隆太さん(23)と同じ仙台二の硬式野球部に入った。1年秋の大会で三塁手としてベンチ入り。50メートル6秒5の走力、右方向への堅実な打撃を持ち味にスタメンを目指していた。

 異変は突然現れた。22年3月ごろから右腕の痛みが強まり、右の鎖骨付近と脇の下にしこりができているのに気付いた。5月に悪性リンパ腫と診断された。つらさや孤独を感じながらも「重くは考えていなかった」という。

 およそ半年間、6回の抗がん剤治療と15回の放射線治療に耐えた。特に抗がん剤は副作用の吐き気がひどく、食欲が湧かず、数日間寝たきり状態になった。

 「どうせ死ぬんだったら、こんな治療したくない」。通院中のある日、自宅の居間で母晶子さん(53)に漏らした。息子の本心を不意に聞いた晶子さんは言葉を返せなかった。

 多くの善意が再起の原動力となった。同級生や友人が千羽鶴を折り、「待ってるぞ」「お前がいない学校はつまらない」などと寄せ書きを贈ってくれた。秋季県大会で8強入りしたチームの奮闘もうれしかった。

 今年2月に本格復帰したが、体力や筋力が落ち、一時は50メートルを走るのに10秒かかった。寛解となり体調が比較的安定している今は、できる限りの練習をこなす。金森信之介監督(37)は「34人の部員で一番明るいのが荻野。チームの雰囲気が良くなる」と存在の大きさを認める。

 今季の背番号は16。公式戦では主に一塁コーチャーを務める。好機で一打を放つ姿を思い描きつつ、「与えられた役割を全うして勝利に貢献したい」と期す。
(この記事は「読者とともに 特別報道室」に寄せられた情報などを基に取材しました)

今春の公式戦で一塁コーチャーを務め、仲間のプレーをたたえる荻野さん(右)=5月3日、仙台市宮城野区の市民球場

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