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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>中央の政変と石巻地方のかかわり

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配

<嶋足、反乱で功績 国司に>

 神亀元(724)年に即位した聖武天皇は、政変に悩まされた天皇でした。神亀6年、皇族で左大臣であった長屋王(ながやおう)が藤原不比等(ふひと)の子たち藤原四子に謀反の疑いをかけられ自害に追い込まれます(長屋王の変)。

奈良時代中頃の政変関係者相関図

■仲麻呂、権力握る

 その藤原四子は天平9(737)年に天然痘の疫病蔓延(まんえん)によって相次いで病死します。その後、権力を掌握したのが県犬養橘美千代(あがたのいぬかいたちばなのみちよ)の子、橘諸兄(たちばなのもろえ)です。しかし、諸兄も母や後ろ盾であった元正上皇が亡くなると、天平勝宝7(755)年に聖武上皇病気の際、不敬な発言があったと告発され政権から排除されてしまいます。その後政権を握ったのが聖武天皇の皇后であった光明皇后の後ろ盾を得た藤原仲麻呂(なかまろ)です。

 仲麻呂は疫病で亡くなった藤原四子の一人、藤原武智麻呂(むちまろ)の子です。叔母であり聖武天皇の后(きさき)である光明皇太后の意思伝達機関として天平勝宝元年に新たに設置された紫微中台(しびちゅうだい)の長官となってから権力を強めました。仲麻呂は中国の学問に精通していて、中央の官僚機構の呼び方を中国風に変えるなど、華夷思想を日本に当てはめて蝦夷を征伐し日本の版図を拡大すべしと考えていたようです。

 藤原仲麻呂が権力を握った天平宝字元(757)年7月、仲麻呂の転覆を図った橘奈良麻呂(ならまろ)の変が起こります。橘諸兄の子、奈良麻呂は仲麻呂の横暴な政治に不満を募らせていて、仲間を誘って仲麻呂排除を画策していたところ、密告され未然に防がれてしまいます。

 「続日本紀(しょくにほんぎ)」には奈良麻呂の変関係者への尋問記事の中に、牡鹿嶋足(おしかのしまたり)ら当時勇将の名高い人々5人に酒宴を開き鎮圧側に参加できないようにしたことや、陸奥(むつの)守(かみ)佐伯(さえきの)全成(またなり)にも勘問が及んだことが記されています。石巻地方出身の牡鹿嶋足がこの時既に、中央で武勇の役人として有名であったことが、国の正式な歴史書である「続日本紀」に登場しているのです。

 橘奈良麻呂の変に連座した陸奥守佐伯全成の後任として仲麻呂の四男、藤原朝獦(あさかり)が陸奥守に就任します。ここに、仲麻呂-朝獦親子の東北への勢力拡大政策実施ラインが出来上がります。陸奥守となった朝獦が仲麻呂政権の方針を受け、本格的な陸奥北部政策に乗り出します。

■桃生城造らせる

 天平宝字2年10月、浮浪人を集めて桃生城を造らせて柵戸とし、同年12月坂東の騎兵、鎮兵、役夫および夷俘(いふ)らを集めて陸奥海道地方の北部に桃生城、出羽の秋田城との間に雄勝(おがち)城を造らせました。天平宝字4年正月、桃生城・雄勝城造営の功により藤原朝獦以下に位階が与えられます。藤原朝獦は続けて国府多賀城を大改修し、天平宝字6年、荘厳な城柵として造り直し、自分の偉業を誇示するように「多賀城碑」を建てたのです。

 さて、対蝦夷積極政策を展開した政権の中心人物である藤原仲麻呂は、後ろ盾であった光明皇太后が亡くなると権力を弱めていきます。仲麻呂のよりどころとなるはずの孝謙上皇は、病を治癒してくれた道鏡(どうきょう)に信頼を寄せ、仲麻呂を排除するようになりました。仲麻呂は道鏡の排除を求めて謀(はかりごと)を起こします。天平宝字8年の藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ))の乱です。

 仲麻呂は軍事力により孝謙上皇と道鏡に対抗しようとし、都に兵力を集めて政権を奪い返そうと計画していました。仲麻呂は息子の訓儒麻呂(くずまろ)に皇権の発動に必要な鈴印(御璽(ぎょじ)と駅鈴(えきれい))を奪わせます。孝謙上皇は直ちに授刀少尉坂上苅田麻呂(じゅとうしょういさかのうえのかりたまろ)(坂上田村麻呂の父)と授刀将曹(しょうそう)牡鹿嶋足を派遣し、訓儒麻呂を射殺して鈴印を奪い返します。仲麻呂は長く国司を務めた近江国に向かいますが、朝廷軍に追われ、琵琶湖で討たれてしまいます。

■相次ぐ政権交代

 「続日本紀」天平宝字8年9月の記事によれば、藤原仲麻呂、朝獦ら敗死。藤原仲麻呂の乱に功績のあった牡鹿連(むらじ)嶋足、坂上苅田麻呂らに姓が与えられています。牡鹿連嶋足は翌月の記事に「(中略)授刀少将従四位下(しょうしょうじゅしいのげ)牡鹿宿祢(すくね)嶋足、兼ねて相摸(さがみの)守(かみ)と為す。(後略)」(原文は漢文)とあり、仲麻呂の乱の功績で貴族の仲間入りを果たすとともに、国司にも任命されるほどの有力者となりました。

 奈良時代半ばの中央政府は目まぐるしく政権交代が起こっていました。中でも藤原仲麻呂政権下では桃生城造営や多賀城大改修、中央での牡鹿連嶋足の活躍など、東北や石巻地方とも関係する出来事が多いのです。

奈良時代中頃の主要な出来事

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