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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>道嶋氏の居宅と「舎人」の刻書土器

赤井官衙遺跡出土の「舎人」の刻書土器(右)、「牡舎人」の墨書土器(左)
赤井官衙遺跡館院1地区の発掘調査航空写真=1994年(いずれも東松島市教委提供)

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配

<赤井官衙遺跡内に存在>

 奈良時代に活躍した牡鹿郡の道嶋氏はどこに住んでいたのでしょうか。道嶋氏の居宅は東松島市赤井にある国史跡赤井官衙(かんが)遺跡の中にあります。

■二つの跡を発見

 赤井字星場から「館院(たちいん)1」「館院2」の二つの居宅跡が発見されています。ともに南北約63メートル、東西約111メートルを直径約20センチの丸太材を隙間なく並べた材木塀で囲った、敷地面積約7000平方メートル(約2120坪)ほどの屋敷です。

 塀の内部には6間×3間規模(約80平方メートル)の廂(ひさし)付掘立柱建物や床貼(ゆかば)りの建物、瓦葺(かわらぶき)の建物、高床の倉、竪穴住居など複数の建物で構成されています。一般の農民の住まいが25平方メートルほどの竪穴住居と小規模な倉庫のみですから、比較にならないほど大きな建物群です。

 館院1は何度か火災に遭いながら、5回の建て替えが行われていました。この居宅は7世紀末から平安時代初めの9世紀前半頃まで、約120年間維持されました。

 掘立式の建物は奈良の都の建物と同じ構造で、地方では役所の建物に用いられます。赤井官衙遺跡の館院は牡鹿地方の郡領(ぐんりょう)(郡の長官クラス)のような有力豪族の居宅と考えられます。「続日本紀」には宝亀11(780)年の伊治公呰麻呂(いじのきみあざまろ)に殺害される道嶋大楯(みちしまのおおたて)が牡鹿郡大領(たいりょう)ですから、道嶋氏の居宅ということになるわけです。

■職名の土器出土

 さらに、赤井官衙遺跡館院周辺から「舎人(とねり)」と書かれた土器が複数出土しています。「舎人」とは平城宮のような中央の役所に勤務する下級役人の職名です。律令制では内(うち)舎人(とねり)、大舎人、東宮舎人、中宮舎人、兵衛(つわもののとねり)の職・部署があり、律令制に定めのない新たな部署に伴う授刀(たちはき)舎人、中衛(ちゅうえ)舎人、皇后宮式(こうごうぐうしき)舎人、造寺司(ぞうじし)舎人など多数の種類がありました。奈良の宮都に仕える最初の役職名に当たります。

 つまり「舎人」と書かれた土器は牡鹿郡から平城宮へ出仕し、地元に帰還した人物に関係する資料です。地方においては、ある種のステータスを表す文字なのでしょう。

 地方から宮都へ舎人や兵衛、采女(うねめ)(宮廷で身の回りの世話をする女官)として出仕することはよくあることです。郡領の子弟が舎人として中央に出仕して勤務し、その後郷里に帰って郡領になることが一般的だったのです。

 ところが「続日本紀(しょくにほんぎ)」によれば、大宝2(702)年には陸奥国からの出仕が禁じられます。さらに、養老6(722)年には陸奥・出羽出身の出仕者は地元に帰還するように命じています。京に出仕者が集まり過ぎることや、地方での新田開発や農地の維持がままならなくなってきていたこともその要因だったようです。

 出仕が禁じられていても、それ以前から京とつながりのあった丸子(まるこ)・道嶋氏は8世紀前半、後半を通して郡領の子弟を出仕させていたようで、8世紀前半の「舎人」、8世紀後半の「牡舎人」と書かれた土器が出土していることからも分かります。

■国府にも勤務?

 赤井官衙遺跡から出土した「舎人」の刻書(こくしょ)土器は破片を含めて11点出土しています。館院1とその周辺から9点と館院2の東側から出土した2点です。それらは8世紀前半の須恵器高台付坏(すえきこうだいつきつき)の底部に土器を焼成する前に刻書されたもの10点と須恵器坏(つき)底部に刻書されたもの1点です。しかも土器を焼成する前に「舎人」と刻書させるという、生産地に対して命令できる人物に関わるものと考えることができます。郡領職は終身官なので、現郡司が失職するまで後任予定者として、都へ「舎人」として出仕した権威を表現したものと推定できます。

 ところで、8世紀前半の「舎人」と須恵器高台付坏の底部に焼成前に刻書された土器が国府多賀城の中からも出土しています。報告書では文字の書体が少し異なっていて書き手が違うと指摘されていますが、土器の形や製作技術もとても良く似ていて、私は同じ生産地で丸子氏の命令で焼かせた土器ではないかと考えています。牡鹿郡の道嶋三山(みやま)が神護景雲元(767)年に国司(陸奥(むつの)少掾(しょうじょう))に抜擢(ばってき)されていることから考えると、それ以前から国府多賀城に勤務していた可能性もあるのではないでしょうか。

 郡領の氏族名と居宅の場所が明らかな遺跡は、全国でも赤井官衙遺跡しかないのです。

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