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わいどローカル編集局>鹿又(石巻市・河南地区)

芭蕉句が記された石碑(右)

「わいどローカル編集局」は石巻地方の特定地域のニュースを集中発信します。7回目は「石巻市鹿又」です。

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川が育む歴史と恵み

 水に恵まれ、水に苦しめられた地域。それが石巻市河南地区の鹿又だ。

 河南町史によると、鹿又地区は古くは河俣村と呼ばれていた。由来は江合川と北上川の合流点の南で、追波川と北上川の分岐点だからだと考えられる。1745年に仙台藩祖伊達政宗の家臣で村を治めた瀬上景敦氏の紋所が「鹿の角又」だったことにより鹿又村と改められた。1955年に4村(前谷地村、北村、広渕村、須江村)と合併し、河南町が誕生。2005年の合併で石巻市となった。

 昔から人の往来が多い土地だった。本鹿又(もとかのまた)遺跡からは弥生時代中期の土器が出土。江戸時代には松尾芭蕉が訪れたとされ、八雲神社境内に「川上とこの川下や月の友」と書かれた句碑がある。町内に点在する鎌倉時代の板碑(いたび)は源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼしに来た際、鎌倉の侍が先祖供養のために建てたものと考えられている。その頃には鹿又で人が生活していたらしい。

 河俣村は農業が盛んで、米を生産していた。1623年に仙台藩が川村孫兵衛に命じて行った新北上川開発によって堤防が造られ、洪水被害が改善されてからは石高が100倍にもなったという。塩などの物資を運ぶ運搬業も栄えた。

 一方で、水害の多い地域でもあった。北上川の氾濫地帯で大雨による洪水が毎年のように起き、人々はそのたびに村を離れては集まる暮らしを続けた。低湿地で水が停滞しやすく、1592年の開拓で定住が進み、1623年の堤防完成で人が集まるようになった。排水路の設置場所を巡っては、隣の前谷地地区と激しく対立した。

 平たんで、暮らしやすい鹿又。約2000世帯、約5000人が暮らす。東日本大震災後、多くの若い世代が移住した。JRの委託を受けて鹿又駅を長年管理する女川清一さん(79)は「生き生きとした街づくりには若い人の力が必要。住み良い街づくりに協力してほしい」と語った。

幻の「円蔵豆」を後世に 石巻北高、植栽や直売

円蔵豆

 石巻北高(生徒393人)の食農系列では本年度、味が良いものの、一般に流通していない大豆の一種「円蔵豆」の「種(しゅ)」を残そうと栽培を始めた。

 桃生地区の農家から種1キロを譲り受け、5月末に種まきをした。野菜専攻の3年生12人が1200~1300株を段階的に定植し、大事に育てている。

 円蔵豆は粒が大きい上、食味が良く、搾り汁が多く出る特徴がある。戦前から栽培され、東京にも出荷されていたが、昭和30年代の開田ブームで作付け農家が激減。市場に流通しない幻の豆となっていた。

 現在は種の採取が主目的の栽培がほそぼそと続く。担当の高橋伸芳教諭(61)は「品種登録されていない。地域に栽培を広げることに経済的な意義はあるが、まずは受け継がれてきたものをつなぐことが大切」と強調する。生徒たちが土寄せなどの手入れを行い、10月以降に収穫する見込み。

 同じ食農系列の取り組みとしては、JR石巻線鹿又駅の花壇への植栽がある。駅は北高に隣接し、生徒の約半数が利用する。改称前の河南高時代から続く恒例の活動で、乗降客の目を楽しませている。

 地域貢献の一環として、草花専攻の十数人が年2回、春はベゴニアやマリーゴールドなど、秋はパンジーやビオラなどを植える。

 北高の地域行事として定着しているのが交流ひろば「と・ら・ま・い」。食農系列育てたコメや野菜、花のほか、米粉パン、みそなどを月2回販売する。手ごろな価格とあって、各回に住民ら50、60人が訪れる。

 家庭系列がレシピ作成、経情系列が会計、進学系列が広報など役割を分担。5系列を有する石巻地方唯一の総合学科のある北高の強さを打ち出す。

 生徒会長で進学系列3年須藤美空さん(17)は「と・ら・ま・い」で毎回放送する動画制作を担当し、学校行事や部活の結果などを紹介している。「より深く、北高のことを知ってほしい」と狙いを語る。

 生徒会副会長の進学系列3年半沢美理(みさと)さん(17)は「北高の周りには小学校、保育所などがあり、子どもの笑顔に癒やされている。私たちも地域活動を通し、いろいろな人たちに笑顔を届けたい」。

 学校のスローガンは「目指せ地域のスペシャリスト!」。千葉隆教頭(53)は「地域に関心を持ち、地域を見つめ、地域に残って、地域を担う生徒を育てたい」と意義を話した。

5月に行われた円蔵豆の種まき

夫婦で理容室経営、まちの変遷見守り半世紀

「誠心誠意」をモットーに理容店を営む憲一さんと仲子さん

 石巻市鹿又新田町浦の佐々木憲一さん(76)と妻仲子さん(70)は、1950年創業の理容「ササキ」を2人で50年以上守り続けている。

 ともに1873年3月25日に県内第1号の小学校として創立され、今年で150周年を迎えた鹿又小の卒業生で、団塊世代の憲一さんは同級生が150人、仲子さんは90人だという。

 鹿又地区には同校のほか、河南東中、石巻北高の教育施設がある。北高近くには高齢者施設「花水木」が開所している。

 仲子さんは「花水木のある場所には以前、(閉校した)鹿又中があった。JR石巻線鹿又駅を中心に発達してきた街で、かつては人の流れがあった」と語る。

 憲一さんは「(石巻高に入学した)1963年ごろは高度経済成長期。64年の東京五輪を控え、街には活気がみなぎっていた」と振り返る。

 東日本大震災後、鹿又地区には住宅団地が形成され、建売住宅の建設も進んだという。児童が増えた母校からは毎年、2年生が地域を知る「街角探検」の学習で来店する。

 鹿又小120周年記念誌の編集長や保護司を務めた憲一さん。鹿又地区の誇りとして、歴史と伝統のある鹿又小と、季節によって多彩な表情を見せる北上川の風景、祭りの継承を挙げる。「祭りの継承によって、この街を守り続けていくという気持ちが高まる」

 仲子さんは、アマチュア画家で日本水彩画会会員。河北美術展洋画の部の入選常連で、今年の第84回も「アフリカンコレクション」(F80号)で入選した。宮城水彩画会副会長も務める。店内には旧天王橋を描いた水彩画を飾っている。

 女性客も多く、旅行や料理、おいしい店の情報など、顧客に合わせて会話を交わす。モットーは「誠心誠意」。約45年利用する山口幸三さん(85)は「居心地のいい場所」と笑顔で語る。

 人を大事に地域に誇りを持って生きる憲一さんと仲子さんは「仕事が楽しい。人生に張り合いを持ち健康でいるうちは続けていく」と話す。

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 今回は鹿又販売店と連携し、浜尾幸朗、渋谷和香、藤本貴裕の各記者が担当しました。次回は「石巻市前谷地」です。

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