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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>伊治城造営

史跡伊治城跡の中枢施設である政庁に建てられた説明版。現在は買い上げが進められ史跡として整備・活用が計画されている
奈良時代後半の律令国家東辺(黒川以北十郡)と版図拡大を目的に新たに造営された桃生城、伊治城

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第5部 律令国家の蝦夷支配と軋轢

<版図拡大へ山道の拠点>

 石巻の北上川河口から川をさかのぼり、さらに支流の迫川の上流へ進むと栗原市築館字城生野にある国史跡伊治城跡に至ります。「日本書紀」によれば、石巻は古代には「伊寺水門(いしのみなと)」と呼ばれていました。伊寺水門という呼び名は上流にある伊治地域につながる海の玄関口の湊(みなと)を表していると考える研究者もいます。

 奈良時代後半に入って律令国家のトップに立った藤原仲麻呂は、四男の朝獦(あさかり)を陸奥(むつの)守(かみ)として送り込み天平宝字2(758)年に桃生城を造営して蝦夷の地掌握の足掛かりとします。

 しかし、その仲麻呂も天平宝字8年に反乱を起こし、討たれてしまいます。藤原仲麻呂の乱で大活躍したのが、牡鹿郡から中央に出仕していた牡鹿連嶋足(おしかのむらじしまたり)です。嶋足はこの活躍で従四位下へ昇進し貴族となり、その後、「道嶋宿禰(みちしまのすくね)」の姓(かばね)を賜ります。

■三山、異例の抜擢

 政権が代わっても国家の版図(はんと)拡大政策は変わりませんでした。北方の蝦夷の地への入り口に当たる北上川下流に桃生城を造営し、桃生・遠山の海道地方の蝦夷を掌握したと考えた中央政府は、山道地方の蝦夷掌握に着手します。

 仲麻呂の乱の翌年、天平神護元(765)年12月に従六位下道嶋宿禰三山(みやま)に外従五位下を授ける記事が登場します。三山が「続日本紀(しょくにほんぎ)」に初めて登場する記事です。1年半後の神護景雲元年(767)7月、地方豪族としては異例の陸奥(むつ)少掾(しょうじょう)(国司の三等官の1人)に抜擢(ばってき)されます。国司は通常、中央からの派遣官ですから地元の豪族が任命されることは異例です。これも、陸奥北辺の新たな国家事業に活躍が期待されて、中央にいた道嶋嶋足の一族である三山が推挙されたのかもしれません。

■蝦夷も造営参加

 その3カ月後の同年10月、山道地方の栗原に新しい城柵である伊治城が完成し、褒賞として叙位の勅(みことのり)が出ます。「続日本紀」には「陸奥国の奏する所を見て、即ち伊治(これはりの)城(き)作り了(おは)れることを知りぬ。始まりより畢(おは)に至るまで三旬を満たず。…(中略)…その外従五位下道嶋宿禰三山は首(かみ)として其(そ)の謀(はかりごと)を建て、修成築造す。今その功を美(ほ)めて、特に従五位上を賜う。」(原文は漢文)とあります。

 陸奥守鎮守将軍をはじめ国司や鎮守府官人が叙位される中、7月に伊治城築城を計画した道嶋三山が陸奥少掾に任ぜられ、造営開始からわずか30日足らずで完成したことが記されているのです。

 また、この造営には蝦夷も競って参加していました。地元の蝦夷伊治公(いじのきみ)氏たちも加わっていたことでしょう。翌11月、「陸奥国に栗原郡を置く。本是(もとこ)れ伊治城なり。」とあり、伊治城のある地に栗原郡を建郡したと記されています。伊治城造営の功あって、この年の12月、道嶋宿禰嶋足が陸奥国大国造に、三山が国造に任じられています。

 伊治城が完成し栗原郡ができたものの、地域を維持する公民が足らず、翌神護景雲2年、3年と陸奥国内および他国の百姓に伊治城・桃生城への移住を募り、税の優遇措置を講じた記録もあります。こうして桃生城や伊治城をやっとのことで維持していったのです。

 道嶋宿禰三山が中心となって造営した伊治城は、どのような城柵だったのでしょう。1977年に宮城県多賀城跡調査研究所が発掘調査を開始してから、現在も栗原市教育委員会によって継続調査されています。

■迫川の河岸段丘

 遺跡は迫川の北岸の河岸段丘上にあります。南北約900メートル、東西約700メートルの帆立て貝形の範囲を土塁で囲っています。その南半に南北245メートル、東西185メートルのひし形に築地で囲った内郭、さらにその中央に南北61メートル、東西55メートルの方形に築地で囲った政庁が配置されています。政庁の建物は国府型の儀式を執り行う配置になっています。政庁を中心に3重に囲った堅固な軍事施設です。北半は多数の竪穴住居があって、集落がまとまっていたようです。

 海道の桃生城に続いて、北方の蝦夷の地を版図に組み入れる足掛かりに山道地方の拠点として造営したのが伊治城です。石巻地域と伊治城のある栗原地域は古代にも密接な関係があったのです。

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