俳優 鈴鹿景子さんを悼む 古里の方言、温かさ伝える
鈴鹿景子事務所から電話があった。コロナ禍で中断していた語り芝居「八月の蒼(あお)い空」再開の案内と思った。違った。声は「鈴鹿景子が亡くなりました」と告げた。
思えば中学時代の同級生として応援してきた。「声」に自信があった彼女は、石巻女子高(現石巻好文館高)を卒業すると上京、1975年に文学座研究所に入った。地元を驚かせたのがNHK朝の連続ドラマ「火の国に」(1976年)のヒロイン役に抜てきされた時。はつらつと動き回る彼女は茶の間の人気者になった。映像の世界に活躍の場を広げた。
転機は石巻の母の入院だった。14年間所属した文学座から独立したこともあり「古里のために何かをしたい」という思いが強まった。帰省した際の彼女の言葉が思い出される。
「初めて上京した時、方言を出さないようにした。でも自分らしさを求め始めた時、気づいたのが古里の言葉の温かさだった」
方言による一人芝居が彼女のライフワークになった。2000年7月、古里公演が実現。2日間、石巻文化センターで「一人芝居ふるさとの昔語り」(石巻かほく創刊20周年事業)を上演、客席を埋めた市民を方言で魅了した。
今の自分に満足することなく俳優として何ができるか-を常に考えてきた人だった。02年に始めた語り芝居「八月の蒼い空」は、野坂昭如著「戦争童話集」を基にした朗読劇で、戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴えた。最初は一人だけの舞台だったが、俳優たちが活動に共感。年々、朗読に加わる仲間が増えた。終演後、ステージに出演者やスタッフ、観客も一緒に戦争や平和を語り合う場を設けたのも彼女らしかった。ユーモアを忘れず、議論を盛り上げる「座長」がいた。
訃報は石巻の演劇人にも衝撃をもたらした。十数年前「八月の蒼い空」石巻公演で共演した三國裕子さん(72)は「まだまだやりたいことはあったはず。またいつか一緒に、がかなわなくなった」と悲しむ。
昨年9月、シアターキネマティカに案内したのが最後になった。キネマティカの舞台に立つ彼女を見たかった。東京では9月、俳優仲間たちが「しのぶ会」を開くという。みんなに愛されながら駆け抜けた俳優人生だった。(久野義文)
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鈴鹿景子さんは7月18日、東京都大田区の自宅で病気のため亡くなった。67歳だった。
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