発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>大国造道嶋宿禰嶋足の請う所なり
【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】
第5部 律令国家の蝦夷支配と軋轢
<公民67人が一括改賜姓>
神護景雲元(767)年10月、山道地方の栗原に伊治城が完成し、11月に栗原郡が置かれました。伊治城造営に功あって、同年12月、道嶋宿禰嶋足(みちしまのすくねしまたり)が陸奥国大国造(おおくにのみやつこ)に、三山(みやま)が国造に任じられています。嶋足が任命された「大国造」とはどんな役職なのでしょう。
国造とは、古墳時代後期、大王(おおきみ)を頂点とするヤマト王権に服属した地方の有力豪族が地域を治めることを認められた役職です。天皇を中心とする中央集権国家が成立して律令(りつりょう)制度が完成すると、律令法に基づいた役職制度に替わり、国造は任命されなくなります。
■全国唯一の役職
しかし、「続日本紀」などには律令に規定のない役職として、奈良-平安時代に40名余りが国造に任命された記載があります。律令制下の国造(律令国造)は、法に規定がないので具体的な仕事内容も分かりませんが、これまでの研究で地域の支配権は持たず主に祭祀を司る名誉職と考えられています。陸奥国では道嶋嶋足と三山だけです。さらに、大国造に任じられたのは全国でも道嶋宿禰嶋足ただ一人です。
陸奥国大国造として嶋足が動いた記録の一つに、「続日本紀」神護景雲3年3月の陸奥国内の新興氏族への一括賜姓(しせい)記事があります。陸奥国南端の白河郡から黒川・賀美・玉造・新田・牡鹿などのいわゆる黒川以北十郡にかけての陸奥国全域にわたる公民67人が、一括して改賜姓されました。
改賜姓された人々は「丈部」や「大伴部」、「春日部」などの部姓(べせい)者で一般農民層に当たります。その部姓から「阿倍陸奥臣」や「大伴柴田臣」「上毛野名取朝臣」などの中央氏族名+地名+カバネの姓に替わったのです。その申請記事の末尾に「並びに是れ大国造道嶋宿禰嶋足が請ふ所なり。」(原文は漢文)とあり、道嶋嶋足の申請によって姓が改められて天皇から賜ったことが分かります。
■俘囚、調庸の民に
また、神護景雲3年11月の記事に「陸奥国牡鹿郡の俘囚(ふしゅう)外少初位上勲七等大伴部押人言(おおともべのおしひともう)さく『伝へ聞かくは<押人らは本是(もとこ)れ紀伊国名草郡片岡里の人なり。昔者(むかし)、先祖大伴部直(あたい)、夷(えみし)を征(う)ちし時、小田郡嶋田村に到りて居(お)りき。その後、子孫、夷の為に虜(とりこ)にせられて、代(よ)を歴(へ)て俘(ふ)と為れり。>ときく。(中略)望み請(こ)はくは、俘囚の名を除きて調庸の民と為らんことを』とまうす。これを許す。」とあります。
俘囚とは服属した蝦夷を指します。牡鹿郡の俘囚大伴部押人の祖先はもともと紀伊国名草郡出身の公民であったが、征夷(せいい)のため小田郡島田村に来た時に蝦夷の捕虜となって蝦夷扱いのまま現在に至ること、俘囚の名を除いて公民にしてもらうことを望み申請し、政府から許可されたことが書かれています。
翌、宝亀元(770)年3月に黒川以北十郡の俘囚3920人に俘囚の名を除き調庸の民とする、同様の記事があります。記載はありませんが、大国造嶋足が関係したのかもしれません。
宝亀元(770)年8月、蝦夷の宇漢迷公宇屈波宇(うかんめのきみうくっはう)が1、2の同族を率いて必ず城柵を侵すといって徒族を率いて賊地に逃げ帰ったので、事実関係を調査するため正四位上近衛中将(このえのちゅうじょう)兼相模(さがみの)守(かみ)勲二等道嶋宿禰嶋足を陸奥に派遣しています。この職務は近衛中将や相模守と無関係なので、陸奥国大国造として派遣されたものです。
■中央の強い信任
道嶋嶋足が陸奥国大国造として行動した申請や派遣は、本人の陸奥国での権威を示すと同時に、中央政府内でも強い信任を得ていたことを示すものです。嶋足が行った申請をよく見ると、陸奥国内の農民層である部姓者を郡領に任命可能な姓への改賜姓や黒川以北十郡の俘囚を公民とする申請は、既に建郡されて律令国家の範囲の人々に対する優遇措置です。新たに城柵が造営された桃生城や伊治城以北の蝦夷に対しての優遇策ではありません。
桃生城や伊治城を造るのに蝦夷たちも駆り出され協力したにもかかわらず、蝦夷爵や位階は与えられたものの、公民扱いにはならなかったのです。私は蝦夷への差別とも取れる優遇措置の有無が、軋轢(あつれき)となって38年戦争へつながる要因の一つになったのだと考えています。
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