善六の足跡、函館にたどる 若宮丸の歴史探索ツアー 参加者延べ130人、高い関心
千石船・若宮丸の漂流民で、ロシア側通訳として210年前、北海道・函館の地を踏んだ善六(石巻出身)の足跡をたどる歴史探索ツアーが7日、函館市内であり、参加者は講演やゆかりの地巡りなどを通して江戸時代後期の日ロ関係に果たした善六の役割、生きざまを探った。
善六は若宮丸の乗組員だったが、1793年に石巻から江戸に米を運ぶ途中に遭難、ロシア領に漂着しロシア政府に保護された。帰化を希望し「キセリョフ善六」と名乗った。日ロ関係が悪化した1813年、ゴロウニン事件解決のためロシア側通訳として函館にやって来て交渉に臨んだ。解決後、ロシア船に乗船。故郷・石巻に帰る道を自ら閉ざしロシア人として生きることを選んだ。
歴史探索ツアーは石巻若宮丸漂流民の会、函館日ロ交流史研究会、市函館博物館の3者が「通訳キセリョフ善六はなぜ函館に来たのか」をテーマに企画、「見る」「聞く」「歩く」をキーワードに開催した。
「見る」では参加者は市函館博物館に集合。函館に上陸した善六の姿が描かれた貴重な史料「北夷談附図」「北蝦夷及び赤蝦夷図絵」(ともに函館市所蔵)を興味深く観覧した。
「聞く」では市地域交流まちづくりセンターに移動。漂流民の会事務局長の大島幹雄さん(70)が「魯西亜から来た日本人 善六とはこだて」の題で基調講演した。世界各地で起きている紛争を踏まえた上で「国同士の紛争を人間の立場になって解決しようとしたのが民間人の善六だった」と強調、「善六の行動にわれわれは学ぶべき」と訴えた。
「歩く」では参加者がセンターから善六の上陸地「沖の口番所跡」を目指し歩いた。当時の絵図と現在の風景を見比べながら「私は日本人ではありません」と言って、ロシアで生涯を閉じた善六に思いをはせた。
参加者は延べ約130人で関心の高さを示した。市内から参加した年配の男性は「善六について何も知らなかった。石巻と函館の間に歴史的なドラマがあったことに驚いた」と話した。
漂流民の会の木村成忠会長(80)と研究会の倉田有佳代表世話人は「日ロの架け橋になったのが善六。今度は石巻と函館の歴史・文化交流の架け橋になってほしい」と願った。
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