発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方 >古代の鉄生産と加工
【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】
第5部 律令国家の蝦夷支配と軋轢
<製錬、工房跡が見つかる>
日本の鉄生産というと、「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された静岡県伊豆の国市「韮山(にらやま)反射炉」が有名です。東北でも釜石市の「橋野高炉跡」が構成資産として含まれています。また、実在しませんが、いにしえの製鉄の様子はアニメ「もののけ姫」に出てくる「たたら場」を思い起こすといいかもしれません。
■弥生時代伝わる
鉄は加工すると武器にもなり、農工具にもなる重要な金属です。世界ではデンマークのトムゼンが時代を区分するのに石器、青銅器、鉄器というように利器の材質で分け、それぞれ石器時代、青銅器時代、鉄器時代としました。青銅器は融解する温度が鉄よりも低いので加工しやすい特徴があります。鉄器は加工が難しいのですが青銅器よりも固く丈夫です。日本ではトムゼンの3時期区分は当てはまらず、弥生時代に青銅器と共に鉄器が大陸から伝わりました。
弥生時代に鉄が伝わったからといって、鉄を生産できたわけではありません。弥生時代から古墳時代中期にかけて、日本では鉄鉱石や砂鉄から鉄を製錬する技術は伝わっておらず、鉄鋌(てつてい)(短冊状の鉄の1次素材)を輸入して鍛冶で武器や工具に加工していたのです。ヤマト王権は鉄を独占して大刀などの武器を威信材として所有するとともに、地方豪族へも服属の証しとして下賜しようとしました。しかし、原料となる鉄が入手できないことから、過去に作った鉄製品を加工し直して、何度も新しい製品を作ったようです。古墳時代に朝鮮半島へ出兵した理由の一つは鉄が欲しかったからと考えられています。
古墳時代後期の6世紀後半に吉備(岡山県)や近江(滋賀県)でたたら製鉄が始まります。
吉備では最初に磁鉄鉱から鉄を製錬したようですが、程なく砂鉄から製錬するようになります。以後、古代日本では砂鉄から鉄を精錬する方法が採られます。東北地方では、飛鳥時代(7世紀)にヤマト王権の指導で近江などから工人が派遣され、福島県浜通り北部の南相馬市から宮城県南端の山元町で鉄生産を開始します。蝦夷と接する王権内の地で生産し、製錬された鉄は初期陸奥国府である仙台市郡山官衙(かんが)遺跡に運ばれたようです。郡山官衙遺跡からは、鉄を加工した工房跡も見つかっています。ここから王権の公民が柵戸として移住した城柵へ供給されたのかもしれません。
■大産地釜石の礎
奈良時代に入って、国府が多賀城に移動すると、多賀城周辺でも工人が招聘(しょうへい)され鉄生産が行われます。多賀城市柏木遺跡から製鉄炉が発見されています。三陸沿岸の蝦夷の地では、これまで古代の鉄生産の様子が不明でしたが、東日本大震災後の発掘調査で8世紀後葉以降、主に9世紀に入ってから鉄生産が広範囲に行われたことが明らかになりました。その鉄生産が明治以降の大生産地釜石の礎になっていったのかもしれません。
■たたら場痕跡も
石巻地方では、須江関ノ入遺跡から2基の製錬炉が発見されています。ただ、残念なことにその年代が平安時代なのか、鎌倉・室町時代なのかはっきりしていません。関ノ入遺跡の製錬炉は踏み鞴(ふいご)のあった痕跡や、炉の下方から鉄滓(てっさい)と呼ばれる鉄を取り出した後の不純物が多数発見されています。踏み鞴は炭を使って温度を上げるために空気を送る送風施設です。「もののけ姫」にでてくる、たたら場で女性たちが夜通し板を踏んでいたものです。いつの時代かは不明ですが、石巻地方でもたたら製鉄が行われていたのです。
石巻地方の製錬炉は明確ではありませんが、赤井官衙遺跡や関ノ入遺跡から鉄を加工した工房が見つかっています。赤井官衙遺跡からは鉄鏃や鉄釘、鉸具(かこ)(ベルトのバックル)とともに鉄製品を研ぐための砥石が出土しています。また、別地点からは鞴の羽口(送風機の口の部分)が出土しています。関ノ入遺跡49号住居からは鍛冶の後に残された鉄かすが見つかっています。鍛冶工房として使用されたものと考えられます。
古代の役所の内部では鉄の塊から鉄製品を作り出したり、集落内でも壊れた鉄製の道具を治したりする鍛冶が行われていたのです。
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