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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方 >胆沢の蝦夷攻略作戦

平安時代初めの東北地方の城柵分布図

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第5部 律令国家の蝦夷支配と軋轢

<38年戦争経て城柵築く>

 宝亀11(780)年の伊治(これはりの)公呰麻呂(きみあざまろ)の乱の話に関連して、伊治城に須恵器を供給した須江窯跡群の話、須恵器生産、鉄生産、塩生産、漆工房の話と石巻地方の生業についての話が続きました。今回は石巻地方の古代の歴史に戻しましょう。

■国家に反旗、殺害

 宝亀5年7月、海道の蝦夷によって桃生城が襲撃されました。律令国家と蝦夷の38年戦争の始まりです。海道の蝦夷の反乱は山道地方にも影響を与えました。

 宝亀11年、国家は山道の蝦夷の本拠である胆沢の地を攻略するため、新たに「覚鱉城(かくべつじょう)」の造営を計画します。陸奥出羽按察使(あぜち)(陸奥、出羽両国の最高責任者)紀広純(きのひろずみ)が、覚鱉城造営を進めるため、牡鹿郡大領(だいりょう)(牡鹿郡の長官)の道嶋大楯(みちしまのおおたて)らと伊治城に集まった時、大事件が勃発します。陸奥国上治郡大領伊治公呰麻呂が反乱し、道嶋大楯と紀広純を殺害しました。いわゆる「伊治公呰麻呂の乱」です。勢いに乗った呰麻呂は俘軍(ふぐん)を引き連れ多賀城を焼いてしまいます。そして律令国家と蝦夷の争いは、さらに北の胆沢の地へと進むことになりました。

 光仁天皇は征東大使藤原小黒麻呂(ふじわらのおぐろまろ)、次に征東将軍大伴家持(おおとものやかもち)らを任命し征夷を試みますが、成果が上がりません。光仁天皇の子、桓武天皇が即位すると、延暦8(789)年、同13年、同20年の3回の征夷を実施します。

 延暦8年、征東大将軍紀古佐美(こさみ)の軍は3月に多賀城に5万2800余りの兵が集結して進軍し、3月末には胆沢の衣川を渡って「営」を3カ所に置きました。5月末には戦争状態に入ります。4000人の兵を選び、北上川を渡って阿弖流為(あてるい)の蝦夷軍が駐留する東岸に進軍しましたが、さらに東側と南側にいた別の蝦夷軍に挟み撃ちにされます。阿弖流為ら蝦夷軍の陽動作戦にまんまと引っかかったのです。

■征夷軍、大敗喫す

 逃げ場を失った征夷軍はやむなく西の北上川に逃げますが、溺れ死ぬ者が続出します。川を渡り切って難を逃れた生存者を別将の出雲(いずもの)諸上(もろかみ)・道嶋御楯(みたて)らが率いて衣川営に帰還しました。こうして紀古佐美の征夷軍は大敗を喫してしまったのでした。

 桓武天皇ら政府は征夷の失敗を分析し、大量の革製甲冑(かっちゅう)等を東国に作らせるなど準備し、延暦13年に征夷軍を送り込みます。征東大使(後に征夷大将軍)に大伴弟麻呂(おとまろ)、征東副使(後に征夷副使)に百済(くだらの)王俊哲(こにきししゅんてつ)、多治比浜成(たじひのはまなり)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)、巨勢(こせの)野足(のたり)を任命しました。

 坂上田村麻呂以外はいずれも陸奥按察使や国司などの兼任で、陸奥の現状を知っている過去の征夷経験者が選ばれました。征夷軍は前回以上の10万人の兵を集めます。2月には京を出発し、現地で征夷副将軍の坂上田村麻呂が実質的に活躍し、6月には征夷軍が勝利をおさめます。京では戦勝報告と共に、平安京遷都が行われました。

■田村麻呂が制圧

 延暦15年に坂上田村麻呂は陸奥按察使兼陸奥(むつの)守(かみ)兼鎮守(ちんじゅ)将軍に任じられ、翌延暦16年に征夷大将軍に任じられます。延暦20年は征夷軍4万人で、規模が縮小されていますが、前回の征夷で大敗を喫した蝦夷軍の勢いはかなり弱くなっていたと思われます。9月には田村麻呂から朝廷に戦勝報告がなされています。これによって、胆沢と志波(現盛岡市周辺)の蝦夷は制圧されました。

 延暦13年と20年の征夷軍に道嶋御楯(みたて)が参画していたと思われますが、当時の記録を記した正史「日本後紀(にほんこうき)」は4分の1が欠落していて、詳細な記録が欠けている部分に当たります。正史を抄出した「日本紀略(にほんきりゃく)」に部分的に記されているのみです。道嶋御楯は延暦20年の征夷後に鎮守副将軍、陸奥国大国造(おおくにのみやつこ)に任じられているので、もし「日本後紀」が残っていれば、御楯の役職も分かったでしょう。

 延暦21年4月、延暦8年の戦いで征夷軍を破った胆沢の族長の大墓公(おおはかのきみ)阿弖流為と同志の盤具公母礼(いわとものきみもれ)らが降伏し投降します。ここに胆沢の戦は終わりを告げます。延暦21年、胆沢に胆沢城、翌延暦22年、志波に志波城の城柵を造営して律令国家の拠点を置いたのです。

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