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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方(完)> エピローグ

古代牡鹿地方の人・物・文化の移動・移住(4~8世紀)イメージ図

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

<南北から影響、境界地域>

 2021年4月に始まった連載「発掘!古代いしのまき」も今回で最終回になりました。遺跡の発掘調査や出土品の研究から分かった先史・古代の石巻地方の歴史を、ちょっと深掘りする企画でした。先史・古代の石巻について、88回にわたる連載を簡単に振り返りながら古代石巻の特質を説明しましょう。

 石巻地方は太平洋と北上川、江合川、鳴瀬川の大河川によって地形も文化も形成されてきたと言っても過言ではありません。

 約1万年前、地球規模の気候変動で最終氷期が終わると海水面が上昇し、石巻地方は約7500年前頃の縄文時代早期末-前期初頭頃には登米市佐沼、美里町小牛田の辺りに海岸線がありました。その後、大河川と海流による土砂の運搬作用によって平野部が出来上がります。まさに、現在の石巻平野は川と海によって出来上がったのです。

 川と海は豊かな自然の恵みをもたらしたばかりでなく、人・モノを運び石巻地方の文化の形成にも大きく影響を及ぼしました。私たちが学校で学んだ日本の歴史とは少し違っていて、縄文時代から弥生時代、古墳時代、飛鳥・奈良・平安時代へと順当に発展・展開してきたわけではありません。

 石巻地方は古代を通じて、南のヤマト王権・律令国家の文化が展開した地域と北の続縄文(ぞくじょうもん)文化、擦文(さつもん)文化の影響を受けた地域との境界地域でした。境界ゆえに南からも北からも人や物がダイナミックに移動していたことが分かりました。

■移民集落できる

 古墳時代前期(4世紀)には関東地方や仙台平野から平野部の新金沼遺跡に集団が移住し、古墳文化をもたらします。移民集落には北海道の続縄文文化の人も交流に訪れています。古墳時代中期には集落のほかに東松島市五十鈴神社古墳や石巻市桃生の袖沢古墳群の円墳が築かれ古墳文化の北限域を形成します。

 しかし、古墳時代後期前半(6世紀前半頃)に古墳はおろか集落遺跡も見当たらなくなり、ヤマト王権との関係が途絶えてしまいます。これ以後、県南の阿武隈川以北は王権から蝦夷として扱われるようになります。

 後期後半に北上川河口東岸に五松山洞窟遺跡が営まれ、関東の首長クラスの古墳時代人が葬られていたことが分かりました。6世紀末頃から集落遺跡が再出現し、集落に関東地方の人々との交流も行われていました。

■関東から蝦夷に

 飛鳥時代の半ば、中央で乙巳(いっし)の変(645年)・大化改新が起こると、王権の版図を広げるために国の施策として関東から蝦夷の地へ移民を送り込みます。石巻地方には上総(かずさ)(千葉県)東部から移住しているようです。主要な移民には丸子氏(後の牡鹿連(おしかのむらじ)・道嶋宿禰(みちしまのすくね))一族がいて、飛鳥・奈良の都へ出仕して役人を務める者もいたようです。

 王権は移民を基に城柵を造営して地域支配に乗り出します。当初の施策は在地の蝦夷を懐柔して仲間に引き入れるものでしたが、国郡里制を施行して税を収奪するようになると在地の蝦夷が反乱を起こします。

■律令国家と戦争

 養老4(720)年、神亀元(724)年の反乱を武力で鎮めた政府は新たに国府を多賀城に移し、一時安定します。天平宝字2(758)年に国家はさらに版図を拡大するために桃生城と雄勝城を造営します。宝亀5(774)年、海道の蝦夷が桃生城を襲撃したのを皮切りに、弘仁2(811)年まで続く「38年戦争」と呼ばれる律令国家と蝦夷の戦乱が続きます。

 牡鹿郡出身の道嶋氏は中央で嶋足(しまたり)が活躍すると同時に陸奥国内で勢力を強め、大国造・国造という役職や国司や鎮守府の一員となるなど、国家の一翼を担う一族として活躍します。

 牡鹿柵・牡鹿郡家(ぐうけ)である赤井官衙(かんが)遺跡、遺跡住民の墓域である矢本横穴、桃生城跡の発掘調査の成果は1300年前の歴史を雄弁に語ってくれます。

 古代の石巻は文化の境界地域として海と川を媒介して南の文化と北の文化がせめぎ合った時代でもあったのです。

 遺跡の調査を基に石巻の歴史をつづり、1年8カ月にわたって連載してきましたが、その間「難しくて読むのが大変」という意見から「石巻地方の知らなかった歴史を知ってためになった」「日本の歴史との関わりが分かって興味が湧いた」など読者の皆さまから多くの意見をいただきました。

 私たちの祖先はどこから来たのか。そして私たちは将来何を目指して進むのか。歴史に携わる一人として、歴史の中からぼんやりとでも未来を考えていただければ幸いに思います。この続きあるいはもっと深掘りする話は、別の機会とさせていただきます。長い間ありがとうございました。

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 「発掘!古代いしのまき~考古学で読み解く牡鹿地方」は今回で終わります。東北学院大博物館学芸員の佐藤敏幸さんのインタビューを年明けに掲載します。

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