能登半島地震 本紙派遣記者の報告(上) 暮らしの跡、あの日のまま
最大震度7を観測した能登半島地震。三陸河北新報社編集部の記者2人が1月29~31日、被災した石川県能登町や七尾市、珠洲市を取材した。撮影した写真と記者の思いを紹介する。
◇
■海辺に人けなく
海辺の集落は住民が避難し、人けがほとんどない。倒壊した住宅の数々。激しい揺れによるものなのか、津波によるものかは分からない。しかし、暮らしの跡は確かにあった。がれきに交じってオードブルのトレー、碁盤、布団が見えた。帰省した親族を迎えた正月だったのではないか-。
入社1年目で東日本大震災を知らない。被災地を取材し、いろいろな場面で考えさせられた。
小中学校の給食支援の取材では、小学1年生の会話が印象的だった。
■児童の心に影響
児童が自慢話のように「海が近くて隣の家が危なかったが、逃げられた」と話した。別の児童は「そういう話はやめなよ」と険しく言い放った。地震や津波は子どもの心にどのような影響を及ぼしているのか。
石巻地方と同じ海の町なのに違和感があった。海岸を歩いたり、車で走ったりして気付いた。防潮堤の高さが1メートルほどしかない。防潮堤に上らなくても海を見ることができる。
宮城では防潮堤の高さを巡り議論がある。流された家屋や車を目の当たりにして、津波を想定した防潮堤の高さについて考えさせられた。
■再建、動き始まる
応急仮設住宅や道路の復旧、災害ごみの受け付け。生活再建に向けた動きは始まったばかりだ。震災から間もなく13年。石巻地方には震災復興で培ってきた技術や知恵がたくさんある。能登半島の復興に尽力できるよう、関心を持ち続けたい。(相沢春花)
関連リンク
- ・能登半島地震 石巻市職員、避難所運営を支援 教訓基に生活環境改善 本紙記者被災地ルポ(2024年2月7日)
- ・防災人材の育成後押し 石巻市、B&G財団と協定 油圧ショベルのお披露目も
- ・目的達成の具体化を スポーツ指導者、子どもの上達術学ぶ 石巻で研修会
- ・ホヤ好き結集! 石巻でファンミーティング、初開催 県内外から40人
- ・東北楽天、東松島で野球教室 市内スポ少4チーム参加 元選手3人が熱血指導