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能登半島地震 本紙派遣記者の報告(上) 暮らしの跡、あの日のまま

1階がなかったかのように倒壊した民家。壁面に「人が閉じ込められています」という張り紙があった。紙の上から書かれた×印は救助されたという意味だと信じたい=1月29日午後2時40分ごろ、珠洲市宝立町鵜飼
倒壊した家屋や曲がった電柱が奥まで続く。車と同じ高さまで隆起したマンホールが道をふさいでいた=1月29日午後2時40分ごろ、珠洲市宝立町鵜飼
地盤が隆起し、消波ブロックが浜に続く海岸。船はがれきと共に打ち上げられたままになっていた=1月29日午前11時50分ごろ、珠洲市三崎町寺家
海岸の砂を巻き上げながら押し寄せたという黒い津波。住民は家屋の中や道路に残った砂をスコップでかき出していた=1月29日午前11時25分ごろ、珠洲市三崎町寺家

 最大震度7を観測した能登半島地震。三陸河北新報社編集部の記者2人が1月29~31日、被災した石川県能登町や七尾市、珠洲市を取材した。撮影した写真と記者の思いを紹介する。

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■海辺に人けなく

 海辺の集落は住民が避難し、人けがほとんどない。倒壊した住宅の数々。激しい揺れによるものなのか、津波によるものかは分からない。しかし、暮らしの跡は確かにあった。がれきに交じってオードブルのトレー、碁盤、布団が見えた。帰省した親族を迎えた正月だったのではないか-。

 入社1年目で東日本大震災を知らない。被災地を取材し、いろいろな場面で考えさせられた。

 小中学校の給食支援の取材では、小学1年生の会話が印象的だった。

■児童の心に影響

 児童が自慢話のように「海が近くて隣の家が危なかったが、逃げられた」と話した。別の児童は「そういう話はやめなよ」と険しく言い放った。地震や津波は子どもの心にどのような影響を及ぼしているのか。

 石巻地方と同じ海の町なのに違和感があった。海岸を歩いたり、車で走ったりして気付いた。防潮堤の高さが1メートルほどしかない。防潮堤に上らなくても海を見ることができる。

 宮城では防潮堤の高さを巡り議論がある。流された家屋や車を目の当たりにして、津波を想定した防潮堤の高さについて考えさせられた。

■再建、動き始まる

 応急仮設住宅や道路の復旧、災害ごみの受け付け。生活再建に向けた動きは始まったばかりだ。震災から間もなく13年。石巻地方には震災復興で培ってきた技術や知恵がたくさんある。能登半島の復興に尽力できるよう、関心を持ち続けたい。(相沢春花)

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