閉じる

学童疎開80年、記憶継ぐ 7月に企画展 石巻の佐々木さん、資料の提供呼びかけ

太平洋戦争末期の学童疎開資料など企画展の準備を進めている佐々木さん

 太平洋戦争末期の学童集団疎開が始まって今年で80年の節目となるのに合わせ、石巻市北村の自宅で平和資料館を運営する佐々木慶一郎さん(76)が、夏の企画展「戦争と教育」の準備を進めている。全国最大規模の子どもを受け入れた大崎市鳴子温泉の旅館関係者らから聞き取りをするほか、幅広く関係資料の提供を呼びかける。

 学童疎開は空襲が激化した1944年に始まり、県内には首都圏などから約1万900人が疎開した。特に旧鳴子町、旧川渡村には47旅館に延べ6500人が身を寄せた。

 佐々木さんは今年7月上旬から1カ月間、疎開に関する写真や教科書など約200点を展示する予定。疎開児童に関する資料提供に協力した登米市の元校長らから当時の様子などを聞き取った。

 特に注目するのは東鳴子温泉のいさぜん旅館で生まれ育った砂金元子さん(97)の体験談だ。同館には44年9月、東京都台東区の児童174人が到着。地域の食糧事情は一層窮迫した。空腹に耐えかね、甘みを感じさせる絵の具や整腸剤を口にする児童もいた。

 砂金さんはおかみだった母と共に風呂敷を背負い、野菜の買い出しをした。両親は月に1度、児童らを旅館の離れに呼び、釜に入ったご飯を好きなだけ食べさせたという。

 空襲などによって親を失った児童は戦後もしばらく、旅館にとどまった。砂金さんは汽笛を鳴らして鉄橋を渡る汽車を眺める児童の姿を記憶し、「どんなに(故郷に)帰りたかったべな」と思いやる。

 佐々木さんの企画展に対する意気込みは、今年1月の能登半島地震を経て強まった。被災した中学生が集団避難したニュースに接し、戦時中の疎開学童が見知らぬ土地にたどり着いて戸惑う様子と重なった。

 学童疎開の記憶を受け継ぐため「関係者の文集や手紙などが残っていれば提供してほしい」と求める。連絡先は佐々木さん0225(73)4057。

関連リンク

石巻かほく メディア猫の目

「石巻かほく」は三陸河北新報社が石巻地方で発行する日刊紙です。古くから私たちの暮らしに寄り添ってきた猫のように愛らしく、高すぎず低すぎない目線を大切にします。

三陸河北新報社の会社概要や広告などについては、こちらのサイトをご覧ください ≫

ライブカメラ