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わいどローカル編集局 > 桃生(石巻市)

「わいどローカル編集局」は石巻地方の特定地域のニュースを集中発信します。14回目は「石巻市桃生」です。

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法印神楽、みこし渡御 伝統継ぎ住民結束 寺崎地区

神輿渡御で使われるみこしを見せてくれた木村宮司

 寺崎地区には、古くから伝わる伝統芸能や祭りがある。住民らにとっては心のよりどころで地域の結束を深める場になっている。少子高齢化が進む中、伝統の継承について取材した。

 県指定無形民俗文化財の「寺崎の法印神楽」もその一つだ。新型コロナウイルス禍前は、石巻市清水町2丁目の湯殿山神社や、同市桃生町寺崎の八幡神社の祭りなどで披露したほか、新築祝いに夜神楽も行っていた。

 継承する「寺崎の法印神楽保存会」には、30~70代の20人弱が所属する。来られない日があっても続けられるよう、毎週金曜日に練習会を設け、後継者を育てている。「太鼓、笛、踊りの三拍子がそろわないと神楽にならない」と、高橋義一会長(75)は神楽継承の難しさを語った。

 2月初めの午(うま)の日に、ひょっとこやてんぐの面を付けた一行が家々を訪ね、火伏せを祈り厄払いをする「初午(はつうま)」も保存会が継承している。今月4年ぶりに復活した。高橋会長は「小さくたっていいから残していきたい」と切実に語る。「(神楽も初午も)好きでずっとやってきている。面白さと楽しさを子どもたちにも伝えたい」と話す。

 八幡神社のご神体を乗せたみこしを担いで歩く「神輿渡御(みこしとぎょ)」は4年に1度の盛大なお祭りだ。木村秀彦宮司(62)は、江戸時代ごろからあるのではと予想する。他の地域から「寺崎地区がまとまっているのはお祭り(神輿渡御)があるからだ」と言われるほど、寺崎地区にとって大切な伝統になっている。

 みこしは60人が15人ずつ4班に分かれ、交代で担ぐ。豊里大橋を出発し、桃生郵便局付近の交差点で折り返し、八幡神社へ向かう。途中「ワッショイ」と言いながら胴上げのようにみこしを宙に上げる様は迫力満点。稚児行列や法印神楽、はねこ踊りも列を連ね、寺崎はにぎわいにあふれる。

 前回2020年はコロナ禍の影響で、木村宮司の知る限り初めて中止を余儀なくされた。今年8年ぶりの開催に向けて準備を進めており、担ぎ手を探している。

 以前は担ぐために4年に1回里帰りする氏子もいたが、約20年前から地域の会社や学校の先生の力を借りている。今年はそれでも60人集まらないのではないかと木村宮司は心配する。「これまでのお祭りも何とかやってきた。伝統を絶やすことなく、次の世代にバトンタッチしなければ」と語った。

学習に新聞活用、成果上々 桃生中

生徒の目に付くよう、階段の脇にも自作の新聞が掲示されている

 石巻市桃生中(生徒156人)は、NIEの活動に力を入れている。

 昨年11月5日に行われた市総合防災訓練に参加し、2、3年生は自作の新聞で地域の人たちに備えや迅速な行動の大切さを訴えた。3年生は古里を活性化するアイデアを考え、自作の新聞で発信する。国連の持続可能な開発目標(SDGs)の11番目「住み続けられるまちづくりを」の担い手として期待される。

 桃生地区は内陸部に位置し、東日本大震災時、生徒たちは幼く当時の記憶がほとんどない。昨年9月、2年生は震災遺構の気仙沼向洋高旧校舎(気仙沼市)、3年生は大川小(石巻市)を見学し、学んだことを2年生は地区ごとに、3年生は班ごとに新聞にまとめた。市総合防災訓練の一環で、計11カ所の避難所で遺構の画像を見せて新聞を配り、内容を発表した。

 気仙沼向洋高旧校舎を見学した2年生は津波の恐ろしさや命の大切さを学んだ。及川結羽さん(14)は「津波の勢いで体育館の屋根がなくなっていた。震災を自分事として捉え、大きな地震に備えて避難訓練にしっかり取り組んでいきたい」と話した。

 3年生は国語と総合的な学習の時間で桃生地区を活性化するアイデアを班ごとにまとめ、「桃生新聞」「桃生町をちょっと都会にしてみよう新聞」などの題号で制作。震災遺構をまとめた新聞とともに桃生総合支所に掲示している。

 NIE活動は、新聞を活用して学力向上につなげようと本年度に始めた。全校での取り組みは、各クラスで朝読書の時間を活用し、毎週月曜日、新聞記事を読んで自分の意見を200字程度でプリントにまとめる。火曜日に友達と交換し、コメントをもらう。

 2年生の高橋一颯さん(14)は「国語が苦手だったが、作文がよく書けるようになった。難しい言葉を調べ、語彙(ごい)力も付いた。新聞を能登半島地震の被災地の状況を確認し、防災力を高める材料としても活用したい」と感想を述べた。

 2年生のクラスは帰りの会で「新聞スピーチ」も実施している。輪番で、代表1人が教室内に置いてある新聞を読んで取り上げる記事を選び、自分の考えを取り入れたスピーチをする。聞き手を意識しアイコンタクトを大事に、クイズを出したり、質問をしたりしてスピーチの仕方を工夫している。

 NIE担当の志賀優香教諭(35)は「新聞は大変難しいイメージが強かったが、(NIE活動を)やってみると、子どもたちの読み取る力、書く力、話す力が向上し、成長を実感できた。考えを共有し、違いを受け入れる姿勢も育ってきている」と成果を強調した。

 新聞を見る機会が増えた生徒たちは、自分の知らない情報に触れることで視野も広がっている。

震災遺構を見学し、学んだことを自作の新聞にまとめた2年生

大沼製菓「きびだんご」、愛され40年 

大沼製菓が製造する名物「きびだんご」と春の和菓子

 「桃次郎のきびだんご」でおなじみの大沼製菓。桃生の住民だけではなく、多くの人に愛される秘訣(ひけつ)に迫った。

 1945年、現在の大沼弘輝社長(68)の父徳二郎氏が桃生町太田に「大沼菓子店」を創業。かりんとうやあめを中心に販売していた。57年に店が火事で全焼し、現在の給人町に移った。60年から菓子パン、和菓子の製造を開始。80年にパンの製造を中止し、以降生麺類の製造を行った時期もあったが、現在は和菓子一本で挑んでいる。石巻地方だけでなく、関東地方の生協や、食品宅配の「オイシックス」などへも出荷している。

 名物きびだんごが生まれたのは今から40年ほど前、官民一体となって町の特産品づくりに取り組んだことがきっかけだった。桃生は「桃から生まれる」と書くので、桃太郎伝説にあやかりきびだんごがいいのではないかと思い立ったという。当時生産されていた桃生産のキビを使ったきびだんごを開発した。「桃太郎のきびだんご」は既に他社が販売していたため、「桃次郎のきびだんご」と名付けた。味はずんだ、くるみ、きなこ黒蜜の3種類。

 きびだんごだけでなく、おはぎや桜餅などの季節の和菓子にも力を入れる。さらに、子どもに和菓子の良さを伝えようと、給食専用の和菓子も製造する。

 キャッチコピーは「体にやさしい和菓子」。質の良い素材を選び抜き、合成保存料や人工着色料は使用しない。季節によって糖度や酵素の働きが変わるので、素材の配合量も変える。製造後はマイナス55度の冷凍庫で急速冷凍する。社内には検査室を完備し、合格した品のみを出荷する。

 弘輝社長は「幼い子どもたちに食べさせられる、恥ずかしくないものを作ってくれと社員に言っている。規模は小さいけれど胸を張れる」と語る。

地域限定菓子、桃次郎のきびだんご 大沼製菓

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 今回は桃生販売店と連携し、石井季実穂、浜尾幸朗の両記者が担当しました。次回は「東松島市赤井」です。

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