東日本大震災 復興と詩と13年目の決心(4・完) これから 経験つなぎ、街と生きる
惨禍の体験は多感な中学生の胸に重く、暗く沈んだ。心の整理を詩に託しながら、行きつ戻りつ。消化し切れない私の気持ちを置いてけぼりにし、復興を急ぐ街。東日本大震災から13年。ようやく決心が付いた。やっと語れる。次世代につなごう。街と生きよう。石巻市のぞみ野の会社員佐藤ゆりかさん(27)が口を開く。(相沢春花)
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「東日本大震災があったから今の私がいる」
当時石巻市湊中2年だった会社員佐藤ゆりかさんは、ようやくそう思えるようになった。
13年前。黒く一直線に迫ってきた津波は、家も、人も、全てをのみ込んだ。生まれ育った湊地区から、思い出の場所が消えた。
昔の石巻に戻るのが復興だと思っていたのに、知らない街になっていた。命を守るため、海が見えないほど大きな堤防ができた。「海は変わらないのに?」。理論と感情の間に揺れた。
佐藤さんの心を置いてけぼりにして進む復興。あったかもしれない未来ばかり考えた。あのまま家が無事だったら-。でも、もう昔の住所を書くこともない。約15年住んだ湊地区には戻れなかった。
進学した石巻専修大では、石巻の文化や歴史を学んだ。地域を知るために、牡鹿や雄勝を訪ねた。きれいに整備された浜々、ぽつんぽつんと、地域に暮らすお年寄りの姿があった。「残った方が寂しいのかな」。考えさせられた。でも…。
震災から5年、2016年の誕生日、日和山に登った。やはり、石巻が好きだ。生まれ育った地域に生きていく決意と誇り。「石巻で生きていこう」
少しずつ復興に向かう街。隣には気持ちが追いつかない人もいる。夜の川に近づけない、震災の話ができない。それぞれの思いを受け止め、今度は支える側になりたい。
これからも変わり続ける街で、震災前の石巻の記憶をつないでいこうと思う。13年がたち、前向きな気持ちも増えてきた。
「津波と生きる」。震災後、長らく重く心にのしかかった。未来を考える人生のテーマになった。人に寄り添い、街と生きよう。詩を書き続け、経験を伝えながら。
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