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俳優 鈴鹿景子さんの遺志継ぎ、石巻で公演 プロデューサー鬼嶋英治さん

鈴鹿さんの俳優人生を支えた鬼嶋さん
一人芝居「ふるさとの昔語り」に臨む鈴鹿さん=2001年11月、東京・大田文化の森ホール

 昨年7月に67歳で亡くなった石巻市出身の俳優鈴鹿景子さん。鈴鹿景子事務所(東京都大田区)プロデューサーであり、長年、公私ともに歩んできた鬼嶋英治さん(80)が鈴鹿さんの思い出を語った。

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 デビューはNHK朝の連続テレビ小説「火の国に」のヒロインと華やかだった。文学座に所属していたが、舞台より映像の仕事が忙しくなった。でも彼女が本当にやりたかったのは芝居。1994年、文学座から独立して事務所を立ち上げた。私が鈴鹿と関わるようになったのはこのころ。

 彼女には悩みがあった。石巻弁が抜けなかった。標準語で話しているとどこか無理があった。劣等感を抱いていた。ある日「だったら石巻弁を逆手に取って方言による昔語りのようなものをやったら」と言った。

 驚いた。方言交じりにしたら彼女の話がとても自然に聞こえた。方言で民話を語る一人芝居がライフワークになった。98年には語りを務めたtbcラジオ番組「民話のなかの女たち」が文化庁芸術祭で優秀賞を受賞した。

 これで満足しないのが鈴鹿だった。俳優として社会に何ができるかを模索した。戦争と平和を考える朗読劇「八月の蒼(あお)い空」が生まれた。「戦争童話集」から読むことになったが、一つ問題があった。著者の野坂昭如さんの許可が必要だった。本人に直接交渉しようとなり都内にあった野坂さんの家を2人で訪ねた。怖いイメージがあったが杞憂(きゆう)に終わった。野坂さんが直立不動で待っていた。意外にもシャイで年下の鈴鹿に丁寧に応対した。もちろんOKを頂いた。2002年に初演を迎えることができた。

 大田区にあった鈴鹿のアトリエで「八月の蒼い空」を上演した時は楽しみがあった。終演後、俳優とスタッフ、さらに希望して残った観客が輪になって懇談した。振る舞われたのが鈴鹿の出身地・石巻の郷土料理「おくずかけ」だった。彼女自ら作った。料理好きで、舞台を降りると、気さくな鈴木克枝(本名)に戻った。会話の中心にいつも彼女がいた。

 鈴鹿と私には人生プランがあった。彼女が65歳になったらUターンし古里で一緒に芝居を創ろうと。ところがコロナが襲った。追い打ちをかけるように大腸がんが見つかった。彼女は病院が「怖い」と言って普段の健診さえ拒んだ。なぜ早く無理にでも健診に連れていかなかったのかと、今も悔しさでいっぱいだ。

 3月、鈴鹿の遺志を継いで石巻で公演をする。家のある東京と行ったり来たりだが、これを機会に石巻に鈴鹿が向こうでやってきたことを地元の演劇人たちの協力を得て根付かせたい。

 「景子さん、見守っていてください」

■ 鈴鹿景子さん追悼イベントin石巻

 15~17日の3日間、石巻市中央1丁目のシアターキネマティカ。鈴鹿景子さんの追悼イベントを実施する会主催。

 第1部はDVD上映会(鈴鹿さんの一人芝居など上映、約1時間半)、第2部は演劇「結婚の申し込み」(チェーホフ作)公演(約30分)。

 15、16日は午後1時と午後6時、17日は正午開演。入場料は前売り3000円(当日3300円)、高校生以下1500円。チケットは実施する会、シアターキネマティカ、市かわまち交流センターで販売。連絡先は実施する会080(5571)4284=平塚さん=。

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