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石巻・渡波との絆頼りに 石川・七尾の田村さん、震災直後にボランティア 地元復旧に奮闘

ボランティアチームの事務所で、震災当時の写真を懐かしむ田村さん=2月15日、石川県七尾市
避難所となった石巻市渡波保育所で共に食事をする(左から)阿部さんと田村さん=2011年10月

 能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県七尾市で、東日本大震災直後に石巻市内でボランティアに取り組んだ女性が、当時の経験や住民とのつながりを胸に復旧支援活動に奮闘している。自身も自宅が被災しながら地域のがれき運搬などを手伝う。「本当に先は見えないが、今やるべきことは分かる」と前を向く。(漢人薫平)

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 七尾市の田村裕美子さん(56)は震災発生翌月から約2カ月間、主に石巻市渡波地区で入浴支援に取り組み、避難者らと心を通わせた。

 今年の元日、外出先で経験したことのない揺れに襲われた。自宅が住めなくなり、避難所に身を寄せながら近所や友人、親類宅の片付けや水くみを手伝った。周囲を頼らず、黙々と作業する被災者を見て気付いた。「ボランティアに何を頼めばいいか分からないのではないか」

 震災時の経験で、自分には被災者のニーズが分かる。ボランティアが割り当てられない水くみの人手を増やそうと、1月29日、地元の御祓(みそぎ)地区の有志と「チーム御祓」を立ち上げた。現在は住民からの依頼を受け、被災家屋の片付けや災害廃棄物の運搬に奔走する。

 活動を支えるものには震災の復興支援で培った経験だけでなく、石巻の被災者とのつながりがある。被災地を離れても交流は続き、能登半島地震の直後には安否を心配する声が次々と届いた。

 「たむちゃん大丈夫か。安全な場所にいろよ」。震災で子ども3人を亡くした同市須江の遠藤伸一さん(55)は真っ先に田村さんの身を案じた。

 田村さんには震災後、2018年11月に77歳で亡くなった自身の叔母の阿部美代子さんを熱心に見守ってもらった恩があった。避難所から仮設住宅、再建した自宅に移ったあとも、孤独にならないようにと足しげく通ってくれた。

 遠藤さんは「叔母は『娘ができたみたいだ』と喜んでいた。しんどい時に支えてもらったから、今は俺たちにできることをしたい。必ず田村さんに会いに行く」と力を込める。

 田村さんは甚大な被害から復旧を遂げた石巻の姿が、七尾の住民の希望になると考えている。今後、二つの地域の交流の機会をつくれないかと思いを巡らせる。

 災害ごみの片付けや水道の復旧など、被災地が抱える苦難は数え切れない。それでも、石巻の人たちとの絆を頼りに少しずつ前に進む。

 「遠藤さんが気遣ってくれる『無理すんな』という言葉は特別。長年の葛藤を乗り越える経験をしてきた石巻の人たちと七尾の人たちをつなぎたい」

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