滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第1部・震災編(2) 渋滞の列を抜けて牧山に避難
東日本大震災があった13年前の3月11日午後3時20分ごろ、車で石巻魚市場を出ると、道路は渡波・女川方面と石巻中心街へとそれぞれ向かう車で渋滞ができている。さらに信号機が故障しているためか、どこに向かうにもノロノロ運転という状況だった。
当時は早く海の近くから離れようと、国道398号に出た。西の日和山か東の牧山にするか迷ったが、過去に津波で内海橋に船が乗り上げ、通行禁止となったことがあるのを思い出し、仕事に戻ることになってもいいように、東の牧山に向かうことにした。
私も他の人たちと同じくノロノロ運転で避難していたため、一度も通ったことのない牧山への道に気付くことができた。伊原津簡易郵便局から法山寺を通って、細い山道を登った。
この裏道は渡波や女川方面への近道だが、利用者は少なかった。山道には近所の人たちと思われる車が既に来ており、どの車も下山する方向を向いていた。すぐ帰れると思っていたようだ。私も反転できる場所を探しながら車で登った。
途中にある梅溪寺の境内は、既に避難してきた人たちの姿があった。駐車スペースも満車のため、平地を探しながらさらに進み、牧山の山頂前まで来た。
一番奥に行こうと思ったが、先は急坂で吹雪もひどく、車はスリップしてそれ以上登れない。バックで山頂前の平地に駐車した。
その後、通過する車がなかったので私の後に牧山に車で避難した人はいなかったと思われる。
車中で複数のラジオを聞いたが、仙台空港などの被害が中心。石巻の様子が鮮明には分からず、地震による家屋の倒壊も避難途中で目にしていないため、被災の内容が分からなかった。
かなり大きな余震が続き、山頂のために大きく揺れるかもしれないと想像しながら、エンジンをかけて暖を取っていた。雪が降っていてとても寒かった。
吹雪と暗闇のなかでウトウトしていたところ、突然ガラス窓をたたく音がした。時々魚市場で見かけ、顔を知っている若い運転手で、窓を開けると「今晩、隣の席に泊めさせてほしい」というお願いだった。
彼は丸昭運輸(青森県五所川原市)の運転手。魚市場で話したことはなかったが、顔を知っていたので招き入れた。聞けば、岩手県大船渡市からイサダを積み、石巻市内の水産加工会社内源水産まで運搬しに来ていたという。
この若い運転手は、別の車のドライバーから津波が来るということを聞き、北に向かって避難中のところ、押し寄せた津波でトラックが浮いて流された後、大門崎の歩道橋の柱に激突したという。
この時、初めて津波の大きさを知った。必死に逃げていて気付かなかった。
彼はトラックを降りて約4キロの山道を登ることにした。神社を目指して行けば、社務所などがあるだろうと考えた。山頂にたどり着き、見覚えのある人を見つけたとのこと。
私は車内にあったペットボトルが数本残っていたので彼に1本渡し、夕食としてポケットに残っていた喉あめ1個を口にした。バタバタしてアドレナリンが出ていたためか、食べ物があって良かったという感情や腹が満たされた感覚は感じなかった。
これまでの出来事を話し終え、彼は奥さんと連絡を取ろうとしたが、うまくつながらなかった。明日からの仕事がどうなるのかも心配でイライラしているように見えた。
運転手の家族のことを聞くわけにもいかなかったので、ラジオを切って朝までウトウトすることにした。この時はまだ地上の惨状を想像できなかった。
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